金屋町ゆかりの文化財
旧南部鋳造所のキュポラ及び煙突
平成13年(2001)10月12日
国:登録有形文化財
何の設備か・・・
新式溶鉱炉「キュポラ」はレンガ積みの高い煙突を持つ、地金を溶解するための建造物である。
近代化以前は・・・
近代化以前の大型鋳造は、多数の板人(いたど…送風板をを踏む人)が大きな木製のふいご「たたら」を踏んで風を炉に送り、木炭を燃やして溶鉄や溶銅を得ていた。
この作業はたいへんな重労働で、その疲れを紛らし、また調子を合わせるため唄われた労働歌が「やがえふ(弥栄節)」である。
そして明治末期、古来から伝わる方法での重労働から人々を解放した設備が新式溶鉱炉「キュポラ」である。
熱効率が向上した新式溶鉱炉
その鋳造方法は、
・まずキュポラにコークスと地金を何層にも重ねて入れて着火。
・次に煙突基部の送風口から電気を原動力とする送風機(欠損)で風を送る。
・風は煙突に設置された直径約30cmの鉄管を通ってキュポラに入り、コークスで熱せられた煙はキュポラの上部から抜け煙道を通って煙突から排される。
・この排煙は鉄管を通って送風機(欠損)から送られる風を熱しながら煙突から出て行くため、熱効率が増す仕組みとなっている。
・燃料には木炭より高熱を得られるコークスが使われた。
当時の金屋町・・・
明治末期には多くのキュポラが建造されたといわれている。
このキュポラにより、最盛期には年間5,000個ものニシン釜が製造されニシン業が盛んであった北海道へ送られた。
その姿を残す旧南部鋳造所のキュポラ及び煙突は大正13年(1924)に建設され平成12年(2000)2月まで稼動していた。
平成13年(2001)国の登録有形文化財となった。
仁安の御綸旨
昭和39年(1964) 9月11日
高岡市:指定文化財
河内鋳物師宛のお墨付き「牒(ちょう)」で、諸役(税金)を免除し、全国を自由に交通して商売する権利を保証するなどの特権が書かれている。
高岡金屋鋳物師が、前田利長公をはじめ加賀藩から手厚い保護を受けたのも、この御綸旨が根拠となったと言われている。そして保護政策は明治の時代に至るまで続いた。
鰐 口
昭和56年(1981)4月15日
高岡市:指定文化財
鰐口は神社仏閣の軒先に吊るし、参詣者が綱を振り動かして打ち鳴らす金属製の梵具(ぼんぐ)である。
この鰐口は表に「奉掛 元禄九年八月十五日 高岡金屋町」の銘があり、作者は不明ですが、金屋町でつくられ、元禄9年(1696)に同町民が有磯神社に寄進したものであることがわかる。
高岡に現存する在銘資料では、最古のものである。(最古の高岡鋳物師作の在銘資料は南砺市(旧福野町)の安居寺の鰐口で万治2年(1659)のものである。)
重量100㎏の大型作品にもかかわらず、湯口が一ケ所で、当時の惣型鋳造技術の高さをよく物語っている。
昭和8年(1933)拝殿改築の際に取り外され、神社に保存されていたが、現在は高岡市鋳物資料館に展示してある。