地場産業センター玄関横 |
95号2007.11月発行 |
――――――第二回千保川ウォーキング――――――
前田利長は新しく城下町を開くにあたり、
物資の集散地として千保川と小矢部川の合流地点にまず木町を開きました
高岡の町はここからスタートしたのです
10月20日雨が降ったり止んだりのあいにくのお天気の中
昔に出会うべく、古城公園近くの本丸会館から木町へと歩きました
木町から地場産センターへと歩きそ休憩した後、タクシーで吉久へ向いました。
←銅板葺きの家 | 本丸会館(講演会) ↓ 商工会館(昼食) ↓ 旧氷見街道 ↓ 清都家:造酒屋 |
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旧氷見街道の木材屋さん→
通り抜けの土間は、裏を流れる千保川へ続いている。
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↓ 五福町神明社 ↓ 羽衣稲荷 ↓ 香林寺 ↓ |
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清都家(造酒屋)→
明治20年ごろの建築と云われている。
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五福町神明社→
加賀3代藩主利常公の命により慶安5年(1652)に造築された。明治20年まで大手町神明社とともに、利長公墓所に鎮守堂として建っていたもの。
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羽衣稲荷→
羽衣新地の繁栄を記念して建てられた。羽衣新地とは、明治33年の高岡大火の後に造られた花街。
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木町浜 ↓ 木町神社 ↓ 西大寺 ↓ 地場産業センター |
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木町 新しい城下町の町立てするに当たって、木町は物資の集散地として最初にできた町。
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↓ タクシーで ↓ 吉久(獅子祭り) |
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木町を経由して小矢部川、千保川をを運ばれる物資を裁許する権限や、材木、竹、薪炭の専売権を与えられていた。
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←木町神社
「御親書祭り」利長忌に利長親書三通を神前に供えてこれを神格化し崇める祭り
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江戸中期、河川改修により水量が減り、川港としての特権は衰退。
利長から頂いた親書を盾にして特権を守り抜いた。
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西大寺→
利長公の高岡入城の時召し寄せられた。
もとあったのは紅屋という所で、竜の女房となった娘の話、「光釜伝説」がある。
このお寺のお参りに竜の娘が来るとか来ないとか・・・
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吉久
加賀藩の御蔵が設けられていたところで、小矢部川・庄川地域で収穫された米を大坂へ送る拠点になっていた。
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←吉久の町並み
幕末から昭和初期にかけて建築されたもの。
米商により繁栄した当時の吉久の面影を今に伝える。
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←御蔵の跡
今は西照寺の境内
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←獅子舞
この日は秋祭り。
勇壮な獅子舞に見入ってしまった。
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船着場跡が工場の駐車場になっていました。
どこかで見たことがある大きな木が目にとまりました。
まだ船着場があったころの古い写真に写っていた大木です。
その大木を見つめながら瞳を閉じると
次から次へと荷物が揚げ降ろされる当時の賑わいが聞こえてくるようです。