千保川横田橋;北村西望作

87号 2007.3月発行


―――――――千保川に鮭の稚魚踊る―――――――



 3月17日、おとぎの森公園内を流れる千保川で、鮭の稚魚の放流がなされました。千保川をきれいにする連絡協議会の会長さんのあいさつの後、南条小学校の児童が鮭の稚魚を放流しました。


 富山県の一級河川で鮭漁のさかんな庄川は、江戸時代以前、千保川を本流としていました。けれども江戸時代に、高岡の町外を流れるように川筋を今の庄川へ流す大工事がなされました。町の中を流れる千保川の川幅は細くなりましたが水路として役目をはたし、高岡の町の繁栄を支えてきました。ところが高度成長時代に工場、家庭排水で汚れ、死んだ川となってしまいました。近年、千保川をきれいにしようという運動がおこり、きれいな川に戻りつつあります。運動の一環として鮭の稚魚の放流が行われています。


 千保川沿いの8つの小学校で実施されています。12月に漁業団体から卵を受け取り、ふ化した稚魚を交代で世話をして様子を観察しました。子供たちは命の尊さを学んだようです。環境を守ることの必要性も実感したことと思います。


 放流される3月中旬は肌寒い時期なのですが、この日は快晴で気持ちのいい日でした。川へ放された稚魚たちは元気に泳いで行きました。4年後に産まれた川へ戻ってくるそうです。今までの目撃情報は120匹だそうです。戻ってきてくれた鮭がいて安心しました。千保川も捨てたものではありません。


 最近の子供たちは、川は危ないところだから近づいてはいけないと教えられています。しかし本来川は命を育むという役割を持っています。大人も子供と一緒に川と触れ合って、命の尊さ、自然の偉大さ、怖さを体感させてあげるべきだと思いました。




 稚魚たちは、橋をくぐっておとぎの森公園を出ていきます。

 わが家の窓の下を泳いでいきます。危ない逃げて、鴨が待ち構えています。

 右手のほうから、大きな小矢部川へと入っていきます。

 小矢部川を泳いできた稚魚たちは大海原へと旅立っていきます。
大きくなって帰ってきてね。


なでしこの部屋
幸を運ぶ川に

水運こそが最も重要な輸送手段であった時代に、千保川は高岡町にとって重要な役割を果たしていました。そしてその土手では自然と触れ合う子どもたちの姿があり、暑い夏には水遊びをする声が楽しそうに響いていたそうです。
 しかし、昭和31年生まれの私が物心ついたころには、護岸工事が始まっていて、川と触れ合えなくなっていました。高度成長期になって、両岸に並んだ工場から排水が流され、川の水はみるみる汚れていきました。赤色やら青色やらの水が入り混じり、油が浮かんでぎらぎらと不気味な光を放っていたのを覚えています。それが今では、公害対策もなされ、工場も郊外へ転出していったためきれいな川に戻ってきました。川をきれいにする運動も行われていて、鮭が上ってこれるほどになりました。
 川は太古の昔から人間に多くの恵みをもたらしてくれました。昔の人にとって川は何でも浄化してくれるありがたい場所でした。しかし怒らせると怖いものでもありました。いつしか人間は自分達の都合の良いことしか考えなくなったとき、幸は運ばれてこなくなりました。今私達は川がきれいになるよう心がけて、川とその周りの自然と共生していけたら、川も幸を運んでくれると思います。