高岡町を開いた加賀二代藩主前田利長(八丁道)

81号 2006.9月発行

―――――――高岡・歴史のアルバム―――――――
「高岡」は利長が慶長14年(1609)に開いた城下町につけた名前です
それまでは関野と呼ばれた庄川扇状地末端平野で、その中の台地の上に城が築かれました
高岡市全体でみると、利長が城下町を開く以前から人々が暮らしていました
縄文、弥生時代の遺跡もありますし、石器も出土しています
高岡市の歴史のアルバムを開いてみましょう
石器、縄文、弥生時代
岩崎遺跡(写真奥の方
  石器が出土している
※縄文時代の遺跡
 太田、頭川、城光寺
※弥生時代の遺跡
 石塚、赤祖父、仲保A
古墳時代
桜谷古墳(雨晴)
およそ1500年前の豪族の墓。10数基ある古墳の中には地方ではまれに見る大きさのものがある。
奈良時代
国分寺跡(伏木)
広さがおよそ1万坪で、豪壮華麗な大伽藍であったと推定されている。
奈良時代
越中国庁跡(勝興寺内)
大伴家持が国守として就任。赴任中に多くのすぐれた歌を詠み、万葉集に収めた。
平安時代
気多神社(伏木)
1100年前の平安時代のころから社格が一国の首位という越中国唯一の名神大社。
中世
木曾義仲(弓の清水)
平家打倒を目指す義仲軍が中田の辺りで喉が渇いた。大地に弓を放つとそこから清水が湧き出したという伝説がある。そのあと倶利伽羅の合戦で勝利をおさめた。
中世
義経と弁慶(如意の渡し)
伏木の小矢部川の渡しで、義経主従が奥州落ちの途中乗船の際に怪しまれた。弁慶が義経を叩くという機転で無事対岸に渡れたという伝説の場所。
中世
恒性皇子の墓(二塚)
後醍醐天皇の皇子であった恒性皇子は、元弘の乱で天皇が隠岐に流されたとき、越中の二塚に流された。越中守護の名越時有によって幽閉され殺害された。
戦国時代
守山城跡(二上山山頂)
南北朝期の築城らしい。室町時代は守護代神保氏、戦国時代は佐々成政のもの。成政が秀吉に降伏した後、前田利長の居城となっていた。利長が富山城へ移ってまもなく廃城。
戦国時代
勝興寺(伏木)
真宗の布教寺院としての起源をもつ。戦国時代に今の場所に移された。戦略上から古国府城を譲り受けて建てられたため、城のようだと言われた。
戦国時代
古城公園(高岡城跡)
前田利長が築いた高岡城跡。面積約7万坪。城は残っていないが石垣や濠は当時の面影を残している。
江戸時代
瑞龍寺(国宝指定)
三代藩主利常が兄の利長の追善のため建てた寺。江戸初期の典型的な禅宗寺院様式を今に残している。仏殿の屋根は鉛板葺き。いざというとき鉄砲の弾に。
江戸時代
北前船資料館(伏木)
江戸時代より回船問屋を営んでいた旧秋元家。伏木港が一望できる高台にある。北前船は瀬戸内や北海道との通商で活躍した。
江戸時代
山町筋
利長が町を開いた当時からの商人町。利長より拝領した御車山のお祭りを今に伝える由緒ある町筋。
江戸時代
金屋町
開町にあたり鋳物師を呼び寄せ仕事をさせた鋳物発祥の地。かつては住まいの裏手が工場となっていて活気ある町だった。今は格子造りの家が軒を並べる懐かしい雰囲気。
高岡の歴史・文化に触れることができる施設
※高岡市万葉歴史館(伏木) ※高岡市立博物館(古城公園内)
※高岡市美術館(古城公園そば) ※高岡市立中央図書館(JR高岡駅前)