71号 2005.11月発行 |
原型づくり | 手ぬぐいの梅鉢紋を拡大コピーして形紙を作る。ベニヤ板を電動糸のこぎりで円に切る。5ミリ厚のシートワックス(ろうのシート)で模様を切り取り、まるいベニヤ板の上に貼り付ける。 | |
鋳型づくり | 原型を型枠の中に置いて、後で原型を取り出し易くするための白い粉をふる。 | |
水で湿らせた砂を入れて押し固める。 | ||
砂が固く詰まったらひっくり返す。 その上にもう一つ型枠を重ね、砂を入れて押し固める。 |
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上下の枠を離して、うえの型枠に溶けた金属の流れる道をつける。 | ||
下の型枠の原型の中央にきりを刺して静かに取り出す。 砂に型通りの空間ができた。ここに溶けた金属を流し込んで、固まると型とおりのものができる。 |
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溶解 | アルミの塊を約720度で溶解する。 | |
鋳込み | 湯道から湯を流し込む。 | |
型ばらし | 鋳型の砂を崩して、固まった金属を取り出す。 このときはまだ熱い。 写真は周りに湯道がついたままの状態。 |
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仕上げ | 湯道を切断する。 ヤスリで細かい凹凸を削り、磨きをかける。 ムーブメントを取り付けて完成。(表題の写真) |
梅鉢紋の時計 加賀藩の梅鉢紋を時計にしました。世が世なら捕らえられるのかもしれませんが。市民体験実習「鋳物のオリジナル時計をつくろう」という講座に参加して作りました。鋳物の時計ならば、鋳物を奨励してくれた前田利長公の梅鉢紋がふさわしいだろうと思ったのでした。鋳物師の労働歌である弥栄節の踊りに使う手ぬぐいの梅鉢紋を拡大コピーして形紙として、鋳型を作りました。 鋳物造りの技術は今から5500年ほど前にメソポタミア地方で始まったそうです。偶然の機会に不完全燃焼する焚き火の炎で、金属を含んだ鉱石が還元精錬され、金属が溶けて流れ出し、石の窪みなどでその窪みどおりの形に冷えて固まるのを見て、鋳物を造る技術を知ったのだと、鋳物の文化史(小峰書店)の中で石野亨氏は言っています。しばらくして、土をこねて鋳型を作る技術を知り、複雑な形のものができるようになりました。この本によると、失敗作とか不良品の意味に用いられる「おしゃか」という言葉は、鋳物つくりの現場から生まれたそうです。鋳物職人が阿弥陀仏(光背を背負った仏像)を鋳造しようとしたが、溶かした金属の温度が低かったり、細い光背の部分の鋳型がうまく作れなかったりして、光背まで溶金が流れなくて、鋳込み後鋳型をこわして取り出したら、釈迦仏(光背のない仏像)に似たものができてしまった。「あみださまを作ろうとしたのに、おしゃかさまになった」ということらしいです。
溶けたアルミを鋳型の中へ流し込むとき祈るような気持ちで、先生の手元を見ていました。砂の鋳型をくずすときは、どんな風にできただろうかと、わくわくしました。この心躍る想いは、5000年余りもの間鋳物を作る人々を魅了してきたのだろうと思います。
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