54号 2004.6月発行

―――エンヤシャヤッシャイ・・・弥栄節(やがえふ)―――
今年の御印祭の6月19日前夜祭は
踊り手1100名参加してにぎやかに千本格子の町並みを踊りました。
河内丹南鋳物の起こり ヤガエ〜 今じゃ高岡金屋町 エ〜
河内丹南軍狭山郷(現・大阪府河内郡美原町)の鋳物師は
由緒ある誇り高き職人達だった
その流れをくむ鋳物師達が
今の高岡戸出西部金屋に住んでいた
加賀二代藩主前田利長から
高岡金屋に住んで仕事をするように言われ
今に至る

火の粉吹き出すあの火の下にゃ ヤガエ〜 愛(いと)し主さんたたら踏む エ〜
火を扱う男達は真剣に仕事に取り組み 勇敢だ
女達はそんな男を支えて
家族で力を合わせて仕事をしてきた
近頃 鋳物の仕事に従事する人は少なくなったが
金屋の夫婦がお互いを尊敬しあっている姿は
変わっていないと思う

タタラ踏み踏みやがえふ唄うや ヤガエ〜 鉄も湯となる釜となる エ〜
タタラ踏みというのは
長時間の肉体労働で非常につらい仕事だ
苦しさをまぎらわし 皆の足踏みをそろえるために
唄われだしたのが「弥栄節(やがえふ)」だ
昭和になってから 親しみやすく編曲し踊りを振付けて
御印祭で披露している
弥栄節保存会は次の世代へ繋げていくために活動している

越中高岡鋳物の名所 ヤガエ〜 火鉢、鍋、釜、手取り釜 エ〜
その昔 鍋・釜・花瓶など鉄製の生活必需品を鋳造していた
時には お寺の梵鐘・神社の鰐口など大きなものも造った
江戸時代には北国筋の鋳物師頭役を命ぜられていた
幾たびの苦難にもめげず 技術を継承し
昭和50年に高岡銅器が
国の伝統的工芸品としての指定を受けた
右の写真:高岡鋳物発祥の碑

十五夜丸うても油断がならぬ ヤガエ〜 一夜逢わねば角が立つ エ〜
「一夜逢わねば 角が立つ」
というのは 男女の仲のことと思うが
もう一歩踏み込んで人間関係一般に言えることと考えたい
気配りとか 思いやりの心を忘れてはいけない
と言っているのではないだろうか

鋳物づくりは黒金とかす ヤガエ〜 可愛いあの娘の胸とかす エ〜
「人類の文明は金属とともにはじまった」(石野亨)
「鋳造には人間の精神活動として最高といわれる
創造の楽しさがある」(鹿取一男博士)
鋳物づくりが 可愛いあの娘の胸とかすわけが
ここにあると思われる

めでためでたの鍋宮様よ ヤガエ〜 鋳物栄えて世も映える エ〜
御印祭は 加賀二代藩主前田利長の遺徳をしのび
高岡鋳物の繁栄を祈念するお祭り
命日の6月20日(旧暦5月20日)前日に
金屋公民館(昔は大きな家)に神様をお迎えする
前夜祭には「やがえふ」の町流しが行われ 町中にぎわう
・・・・・・「弥栄節」の踊りをモチーフにしたブロンズ像(金屋緑地公園内)
高岡銅器協同組合が設立50周年を記念して製作した。
なでしこの部屋
「やがえふ」の歌詞
タタラ踏みの労働のなかから生まれた正調「やがえふ」は、現在祭りで唄っているものとは少し違います。何年か前に長老が唄われたのを聞きましたが、歌詞は全く違うものだったと思います。「えんやしゃやっしゃい」の文句は同じですが、もっとゆっくりで力強いものでした。うかれた感じがしないのはやはり労働歌だと思わせます。今のものは曲は親しみやすくて、歌詞は金屋を紹介しているようでこれはこれで好きです。でも もっと正調「やがえふ」を聞く機会があればいいと思います。そしたら、より先人の心に近づけるような気がします。