54号 2004.6月発行 |
河内丹南鋳物の起こり ヤガエ〜 今じゃ高岡金屋町 エ〜 | |
河内丹南軍狭山郷(現・大阪府河内郡美原町)の鋳物師は 由緒ある誇り高き職人達だった その流れをくむ鋳物師達が 今の高岡戸出西部金屋に住んでいた 加賀二代藩主前田利長から 高岡金屋に住んで仕事をするように言われ 今に至る |
火の粉吹き出すあの火の下にゃ ヤガエ〜 愛(いと)し主さんたたら踏む エ〜 | |
火を扱う男達は真剣に仕事に取り組み 勇敢だ 女達はそんな男を支えて 家族で力を合わせて仕事をしてきた 近頃 鋳物の仕事に従事する人は少なくなったが 金屋の夫婦がお互いを尊敬しあっている姿は 変わっていないと思う |
タタラ踏み踏みやがえふ唄うや ヤガエ〜 鉄も湯となる釜となる エ〜 | |
タタラ踏みというのは 長時間の肉体労働で非常につらい仕事だ 苦しさをまぎらわし 皆の足踏みをそろえるために 唄われだしたのが「弥栄節(やがえふ)」だ 昭和になってから 親しみやすく編曲し踊りを振付けて 御印祭で披露している 弥栄節保存会は次の世代へ繋げていくために活動している |
越中高岡鋳物の名所 ヤガエ〜 火鉢、鍋、釜、手取り釜 エ〜 | |
その昔 鍋・釜・花瓶など鉄製の生活必需品を鋳造していた 時には お寺の梵鐘・神社の鰐口など大きなものも造った 江戸時代には北国筋の鋳物師頭役を命ぜられていた 幾たびの苦難にもめげず 技術を継承し 昭和50年に高岡銅器が 国の伝統的工芸品としての指定を受けた 右の写真:高岡鋳物発祥の碑 |
十五夜丸うても油断がならぬ ヤガエ〜 一夜逢わねば角が立つ エ〜 | |
「一夜逢わねば 角が立つ」 というのは 男女の仲のことと思うが もう一歩踏み込んで人間関係一般に言えることと考えたい 気配りとか 思いやりの心を忘れてはいけない と言っているのではないだろうか |
鋳物づくりは黒金とかす ヤガエ〜 可愛いあの娘の胸とかす エ〜 | |
「人類の文明は金属とともにはじまった」(石野亨) 「鋳造には人間の精神活動として最高といわれる 創造の楽しさがある」(鹿取一男博士) 鋳物づくりが 可愛いあの娘の胸とかすわけが ここにあると思われる |
めでためでたの鍋宮様よ ヤガエ〜 鋳物栄えて世も映える エ〜 | |
御印祭は 加賀二代藩主前田利長の遺徳をしのび 高岡鋳物の繁栄を祈念するお祭り 命日の6月20日(旧暦5月20日)前日に 金屋公民館(昔は大きな家)に神様をお迎えする 前夜祭には「やがえふ」の町流しが行われ 町中にぎわう |
「やがえふ」の歌詞 タタラ踏みの労働のなかから生まれた正調「やがえふ」は、現在祭りで唄っているものとは少し違います。何年か前に長老が唄われたのを聞きましたが、歌詞は全く違うものだったと思います。「えんやしゃやっしゃい」の文句は同じですが、もっとゆっくりで力強いものでした。うかれた感じがしないのはやはり労働歌だと思わせます。今のものは曲は親しみやすくて、歌詞は金屋を紹介しているようでこれはこれで好きです。でも もっと正調「やがえふ」を聞く機会があればいいと思います。そしたら、より先人の心に近づけるような気がします。 |