51号 2004.3月発行

――――――――人類の文明と金属(鋳物)――――――――

・・・・・文化フォーラム「芸術文化活動はまちの礎」(3月7日高岡市民会館)で演奏されたもので、仏具の「おりん」で音階を構成した楽器です。きれいな余韻が、不思議な音の世界を作り出します。高岡銅器の伝統の技を活かして製作されたオリジナル楽器で「久乗編鐘」と称されています。

地元民謡の保存会の一員として関心があったので、フォーラムを聞きに行きました。心豊かに住める社会をめざして、まず自分たちの住んでいる地域社会から文化芸術活動を広げようというものでした。そのためにやらなければならないのは何か?文化芸術のためのさまざまな活動をしている方々の話を聞かせてもらいました。

 そういえば

「鋳造技術は心豊かな人間性の高い技術であるといえよう」(鹿取一男博士)

という言葉を、「鋳物の文化史」(小峰書店、著者石野亨)で読んだことがあります。
そもそも鋳物とは
「金属を溶かし、鋳型に流し込んで固め、目的の形のものをつくる作業を鋳造といい、
この方法でできたもの」のことです。
この作業には、自分の考えどおりの形や模様が自由に作れる、
すなわち人間の最高の精神活動である創造の楽しさがある。
と、鹿取一男博士の言葉を紹介しています。
「人類はこの技術を知るようになってはじめて文明社会の基盤を確立することができた」
と、著者石野亨は言っています。

わが町の先人達は、心豊かな人間性の高い技術を天職として精進し、今に至っているのです。

5500年前 人は鋳物をつくる技術を偶然の機会に知ったそうです
人類の文明は、火の利用を知った知恵と、
空間に何か形のあるものを作ろうとする創造の本能にささえられて発展してきた。

不完全燃焼するたき火の炎で金属をふくんだ鉱石が還元精錬され、
金属が溶けて流れ出し、石の凹みなどでその凹みどおりの形にひえて固まるのを見て、
鉱石から金属を取り出す方法と、
溶けた金属を型に流し込んで鋳物をつくる技術を知るようになった。

やがて土をこねて鋳型をつくる技術を知り、複雑な形のものができるようになった。

鋳物は、機械工業の基盤として重要視されるとともに、
日用品や美術品にも利用されるなど幅広い用途をもつ。
「鋳物の文化史」(小峰書店、著者石野亨)より


なでしこの部屋
金屋のDNA?

 本屋さんで「おもしろ金沢学」(北國新聞社)という本にであいました。
江戸時代はここ高岡も加賀藩だったということもあり、興味をそそられ購入したのでした。金沢人はプライドが高く、城下と近郊農村はきっちり区別していたようです。高岡は一応城下町でしたが、金沢の殿様を知事とすれば、高岡のトップは部長クラスにすぎないのだそうです。
  本によると、金沢というところは、高ぶった尊大な態度をとれば「出る杭」として打たれる恐れがあり、人々は「打た」れないよう、頭を垂れるのがこの地の基本的処世術だそうです。この部分は高岡金屋にも通じるところがあります。金沢ではかなり社会的地位の高い人でも、他人と会うたびに「お世話になっております」という常套句をよく用いると書いてありましたが、この辺りでもまさにそのとおりなのです。私も一日に何度となく使います。
 中学生のころ友達から、「親が、「物静かな美和子ちゃんを見習われ」とよく言うけど、本当はおしゃべりだよね」と言われたことがありました。学校の帰り道、金屋の町並へ足を踏み入れたとたんに静かになるらしいのです。「出る杭」にならぬようにと、金屋のDNAのなせるわざだったのでしょうか?