42号 イベントin金屋町
発行2003.6月
 さまのこフェスタIN金屋町H15.5月4.5日

 弥栄節踊り (両日)
  11:00 石畳通り
  14:00 緑地公園

 梅原司平「お寺コンサート」(最勝寺) 
  4日 午後7:00

 お琴の演奏(宗泉寺)
  5日 生田流水谷佳代社中
  
高岡短大・高岡工芸高校の生徒作品…「神妙寺」
島崎一翠展…「金森家(中町)」
般若一郎親子展…「山田家(上町)」
青木喜作彫金実演…「藤田家(中町)」
般若保作品展・お茶席…「般若家(中町)」
黒谷家所蔵展…「黒谷家(中町)」
牛島一馬木彫実演…「ゆづら(西町)」
お土産品…「利三郎(西町)」

金屋公民館…史料館開放・趣味の作品展
金屋緑地公園…たたら展示・お休み処
宗泉寺…コーヒー販売
上町通り…古布作品の展示即売
    御 印 祭    H15.6月19.20日      
金屋町の開祖、加賀二代藩主前田利長公の命日に、報恩感謝の誠意を表し、鋳物の繁栄を祈念する祭り。19日の前夜祭では、昔から伝わる作業唄「弥栄節」に振り付けした踊りを、先人の心を思って披露します。
6月20日の子供達による奉納踊りの様子

 

御印祭に金屋町公民館にお招きする御祭神を紹介しましょう。
有礒正八幡宮の宮司様に教えてもらいました。( )内は私が参考に付け加えました。

琴平羅社金毘羅神―大己貫神:オオナムジノカミ
従来金屋町鋳物の守護神として、金屋町釜本久右衛門家に御鎮座されていたのを、明治19年に有礒正八幡宮に合祀された。(金毘羅神とは「クンピーラ」であるといわれ、もとはインド王舎城の守護神である。航海の神であり、水神であることから火難避けの神でもある。八百万の神紹介文より)
日本武尊―ヤマトタケルノミコト
明治30年に金屋町氏子から、日本武尊の神像(銅製)が奉納され、合祀された。金沢兼六園の日本武尊像の原型ともされる。(12代景行天皇の皇子。16歳の時天皇の命により、九州の熊襲を平定した。次々と命をうけ、日本各地を平定し、最後は伊勢で亡くなる。しかしその姿を白鳥にかえ飛び去ったと伝えられている。)
石凝姥神―イシコリドメノミコト
鏡(銅鏡)作の祖とされる神様で、鹿の皮で「ふいご」を作り、天香具山の金を採って鏡を鋳造したとある。この時の鏡が日前国懸神宮(和歌山県)の御神鏡となったとされる。昭和11年に日前国懸神宮から御分霊を受け有礒正八幡宮に合祀された。(石凝姥神は、天照大神が天岩戸に閉じこもられたとき、誘い出すために使用した八咫鏡を作ったと、日本書紀に書かれている。)
前田利長命
昭和11年に金沢市の尾山神社から御分霊を受け、合祀された。(加賀二代藩主前田利長は金屋町に鋳物師を呼び寄せ、土地を与え、様々な特権を与え、手厚く保護した。利長公の死後、鋳物師達は命日にお参りして、感謝の意を表し、鋳物の繁栄を誓い恩に報いた。当初は利長公の新書や、絵像を礼拝していたようだ。)

め〜でた、め〜でたの鍋宮様よ ヤガエ〜
鋳物栄えて、世も栄えるエ〜  エンヤシャヤッシャイ

―弥栄節より―
この鍋宮様とは、鋳物師たちのご先祖様たちのこと
その子孫、またその仕事をする人たちを守ってくれるのだそうです。

※参考 さまのこフェスタ「たたら17号」「たたら28号」 
御印祭「たたら7号」「たたら19号」「たたら30号」


囃子方のヒロイン
さまのこフェスタ、御印祭で披露された弥栄節で、三味線の弾き手として高岡短大生の有志が参加しました。揃いの梅鉢紋の法被を着て、堂々としたバチさばきは去年の夏に始めたばかりとは思えません。彼女たちは和楽器のサークルのメンバーで、指導にいっている弥栄節保存会の人たちは、その上達ぶりに驚いていました。教えているほうもはりあいがあると、楽しそうです。私達ヤッホーのメンバーが、踊りに加えて三味線も練習するようになって2年近くになりますが、二足のわらじをはきこなせなくて三味線の腕は今一つです。熱意と練習量と若さと三拍子揃った彼女たちには負けます。
 囃子方の中に彼女たちが加わることで、活気がみなぎります。やはり祭は老若男女が揃わなければはじまりません。