39号 | 灯りをつけましょぼんぼりに 発行2003.3月 |
山町筋のひなまつり 2月8日(土)・9日(日) 主催:土蔵造りのある山町筋まちづくり協議会 |
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山町筋とは
御車山を所蔵している町で旧北陸道筋に土蔵造りの家が建ち並び、
重要伝統的建造物郡保存地区となっている辺りのこと。
その昔、高岡城が築かれたころには武士の屋敷が並んでいたらしいが、
一国一城令で高岡城が廃城になった後、
当時の藩主前田利常が奨励して商業の中心として繁栄してきた。
明治の大火の後、防火に優れた土蔵造りの家が建てられた。
私が子供のころ、雛壇のまわりに家中の人形や、お祝いに頂いたお人形を飾りとても賑やかでした。その中でお気に入りだったのが「じょうとんば」の人形です。嫁に来るとき持ってきて、毎年娘のお雛様に飾っています。「じょうとんば」は漢字で書くと「尉と姥」(じょうとうば)となります。 |
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尉と姥のいわれ
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ひな祭の思い出 5月生まれの私は初節句のころには伝え歩きができるようになっていました。雛壇が伝って行く道筋になっていて、御供えしてあった大きなおもちに手をついて伝って行っては、一日中家の中を回っていたそうです。白いおもちが手垢で少し黒くなっていたと聞かされ、「汚い」と私が言うと、「な―ん(いいえ)、初節句だから娘のしたことはなんでも嬉しかった」と、目を細めて言いました。 4,5歳のころは、お雛様飾りの手伝いをしたいのにお人形には触らせてもらえず、お道具や造花の橘と桜の木を飾るのが役目でした。たんすの引出しを開けたり閉めたり、映りの悪い鏡をのぞきこんだり、御膳にお椀を並べて食べるまねをしたり、と邪魔をしていたのでした。夕ご飯を食べたあと座敷の雛壇の前に一人座り、あれこれ想像しているのが楽しい時間でした。お雛様とお内裏様が、御殿の中から出て階段を降りてこられると、5人囃子の音楽に合わせて3人官女の踊りが始まるのだと、空想が広がりました。 御殿飾りは夢があって楽しいのですが、飾りつけの大変さを思い、娘のお雛様を買ってもらうときはびょうぶでお願いしました。 |