33号 瑞龍寺市定期観光バス
発行 2002.9月

8月2日、友達と一緒に高岡市定期観光バスに乗りました
(7月20日〜9月1日の土・日、七夕祭りの期間、お盆三ヶ日に実施)
半日の旅でしたが、新しい発見がたくさんありました
「百万石文化紀行」
高岡駅前出発 13:00

国宝瑞龍寺 13:10〜14:10
重要文化財の総門をくぐると、目の前に・・・・・・
山門(国宝)
曹洞宗高岡山瑞龍寺は、加賀藩二代藩主前田利長公の菩提をとむらうため三代藩主利常公によって建立された寺である。利長公は高岡に築城し、この地で亡くなった。加賀百万石を譲られた義弟利常は、深くその恩を感じ、時の名匠山上善右衛門嘉広をして七堂伽藍を完備し、広山恕陽禅師をもって開山とされた。
造営に約20年の歳月をかけ、当時、寺域は3万6千坪、周囲に壕をめぐらし、まさに城郭の姿を想わせるものがあった。
平成9年、山門、仏殿、法堂が国宝に指定された。
山門を過ぎると
仏殿(国宝)
   さらに奥へ 法堂(国宝)
仏殿内部
総欅造り、屋根は鉛板をもって葺かれている。上層軒組は、禅宗建築の純粋な形式であり、屋根裏の扇垂木やエビ虹梁など複雑にして妙をえた架構法である。 釈迦・文殊・普賢の三尊をまつる。 総桧造り、構造は方丈建築に書院建築を加味したもの。中央奥の内陣には二代藩主前田利長の位牌を安置。中央二室の格天井には狩野安信の四季の百花草が描かれており、正面内陣の欄間には高岡という地名の由来となった鳳凰が刻まれている。
※ここまでの写真・文は瑞龍寺のパンフレットより
説明を聞いて解ったこと
山門の二重になった屋根は一般には下が大きく上が小さいものだが、
雪の多い高岡では、上の屋根に積もった雪が落ちて、
下の屋根をいためないようになっている。
このほか太い柱を使うとか、組方を工夫して頑丈な構造になっている。
一言で太い柱といっても、
伐採が大変、運搬が大変、加工がこれまた大変だったそうだ。

瑞龍寺の一角にある石廟の中に、あのスーパースターの信長のお骨があるとは、歴史を身近に感じませんか?利家、利長の石廟とあわせてみると、天下統一を夢見て、命がけで生きてきた男達の熱い思いを感じたような気がします。

家康によって天下統一されたなか、加賀藩三代藩主の利常が、高岡城址、瑞龍寺、利長墓所を軍事上の拠点として備えていたことを思うと、やはり厳しい時代を生き抜いたことを、感じます。
※前田利常の略歴は「たたら24号」参照
瑞龍寺の一角にある石廟
右から前田利長、利家、織田信長、同室正覚院、織田信忠の分骨廟。
瑞龍寺のパンフレットより
前田利長墓所
石燈籠に導かれて墓前に至ると、武将のものとしては全国一という高さ11.75mの堂々とした石塔に出会います。
高岡市のパンフレットより

高岡大仏(車窓より)参照「たたら21号」   
高岡古城公園(車窓より)参照「たたら16号」
金屋町;格子づくりの家並み 14:30〜15:00  
「たたら34号」(次号)で紹介します

なでしこの部屋

「百万石文化紀行」高岡市定期観光バスの旅
 8月2日、友人と一緒にバスに乗りました。参加者が10人に満たない状態でしたので、ゆったりと半日の旅を楽しみました。平日はボランティアの方の説明がないのですが、国宝瑞龍寺では運よく説明していただくことができました。ただ見て回るよりも、お話を聞いて、当時の人々の思いや苦労などを肌で感じることができました。それと同時にこのお寺のすばらしさに改めて感動しました。
 バスで次の訪問地金屋へ向う途中、車窓から高岡大仏を拝み、前田利長隠居城跡の高岡古城公園のお堀ばたを走りました。金屋町は私がにわかのガイドになりました。その話は「たたら34号」(次号)でご紹介しましょう。その後行った二上山の話は「たたら35号」で紹介します。お楽しみに。
 帰り際に高岡地域地場産業センターに寄って、ショッピングを楽しみ、午後5時ごろ高岡駅に帰ってきました。バスガイドさんのお話は上手にまとめてあり、解りやすかったです。途中で、高岡の民謡としてわが町の「弥栄節」を歌っていただいたのは嬉しかったです。「ヤガエ〜」と声に出しそうになりましたが、私の調子外れの合いの手では迷惑をかけると思い、やめておきました。わが町再発見の旅になり、充実した時間を過ごせました。バスガイドさん運転手さんありがとうございました。