32号 | おんぞはんまつり 発行 2002.8月 |
「おんぞはん」はお地蔵さんのことです。8月24日はお地蔵さんの日でした。この日は朝からお堂の掃除をしてお地蔵さんの帽子や袈裟を祭用のものに替えてあげます。お堂のまわりにちょうちんをつるし、両側に布で作った飾りを掛けて、御供えを並べます。夜に宗泉寺の住職さんにお経をあげてもらって、町内の人が皆でお参りをします。以前は食物を振舞ったり、ゲームをして、子供中心に楽しく過ごしたこともありましたが、子供が少なくなった今はお経がすんだあとに御下がりを配るだけです。 | お堂の正面両脇につるす飾りと、おリンをのせるもの。どちらも、うちのおばあちゃんの若かりし頃町内の皆で作ったものだそうです。 |
日本民俗大辞典(吉川弘文館)より>>>>>>>>>>>>>>>>>
地蔵信仰 地蔵信仰の日本への伝来は奈良時代。平安時代末になると末法思想の流行とともに、民衆の間で地蔵に信仰があつまり、各所で地蔵講が開かれるようになる。地獄入口の賽の河原で子供をたすけるという「賽の河原和讃」ができて、地蔵が子供の仏とされるようになる。そして安産・子育てほかさまざまな現世利益にかかわって民衆に広く信奉されてきた。 |
地蔵祭 8月23日24日にかけて、京都を中心に近畿各地で行なわれる。近年は子供主体の祭となっている。町内ごとに辻に化粧地蔵を据えてまつり、百万編数珠を廻したり、飲食を楽しんだりする。 |
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
金屋七ヶ町にはそれぞれの町内にお地蔵さまがあります。
下の写真のお地蔵さまがどこにあるか町を探索してみませんか?
金屋上町 | 金屋西町 | 金屋東町 | 宮川町 | 金屋古町 | 金屋中町 | 金屋本町 |
昭和32年 | 昭和6年;棟梁は同じ上末氏 | 平成6年再建 | 昭和38年 再建 |
他と工法が違い古式 | 大正7年再建 | |
総欅造 | 総欅造 総檜造 | 御影石造 | コンクリート | 檜と欅 | 檜と欅 | |
切妻;他の祠と違う | 唐破風(一枚板) | 身舎;一石作り出し | 切妻で正面は唐破風 | 唐破風 | 唐破風 | |
共通の特徴 ◎積雪が多いため、基礎の台を高くして袴腰型のもとなっている。 ◎屋根は正面を唐破風としたものが多い。 ◎良質の材を使用し、細部の加工も丁寧で、彫刻や飾り金具も見るべきものがある。 コンクリートのものも、左官の技術の粋を尽くしてあり、御影石のものも、平成の石工技術を伝えている。 |
これら祠には、絶えず美しい生花が供えられている
この素晴らしい祠に託された物心両面の
分化遺産を後世に伝えたいものだ。
上野幸夫先生の言葉
※資料提供:上野幸夫(富山国際職藝学院教授)金屋公民館の講習会で頂いた資料より
なでしこの部屋
話せばわかる? あれはある晴れた気持ちの良い朝の出来事でした。 「キャー、へび。おかあさーん、へびが部屋に入ってきた」と私が叫ぶと、夫のおかあさんが 「叩いたり、突ついたりしたらだめやよ」と言いながら近づいてきて、へびに向かって言いました。 「ねえ、ここあなたの家でないでしょ」 へびは無言でこちらを見ています。再びおかあさんは諭すように言いました。 「はやく家に帰りなさいよ」 へびはやはり無言のままで首をかしげました。 「お願いだから帰ってちょうだい」と私は半分涙声で頼みました。 どのくらい経ったでしょうか、数分だったのでしょうが長く感じました。へびはピロピロッと舌をだしてから、頭の向きを変えると、そのまま入ってきた窓からスルスルと庭へ出ていきました。 「おかあさん、話してみるもんやね」 「ええ、ちゃんと通じるもんやよ」 最近、驚いた話です。 |