109号 2009.1月発行 平成21年正月:金屋本町にて→ |
時をこえ 心をつなぐ 高岡開町400年
慶長14年(1609)加賀二代目藩主前田利長が
富山県西部に広がる扇状地内の台地に城下町を開きました。
詩経の一節「鳳凰鳴けり かの高き岡に」から
おめでたい鳥である鳳凰の飛来を願って
新しい町名を高岡と決めました。
5年後利長は病没。その後の一国一城令により高岡城は廃城となります。
加賀三代目藩主前田利常によって商工業の町として生まれ変わり今に至ります。
利長が築いた高岡城は一国一城令により廃城となったが、水濠や土塁は残された。今は豊かな自然にあふれ、市民の憩いの場となっている。 | 高岡市の人口18万人。古くから政治、文化、経済の中心として栄えた。国際貿易港を有しアルミ、機械、銅器などの産業が盛ん。国宝瑞龍寺や重要文化財、情緒ある町並など歴史遺産が数多くある。 |
北国街道は加賀の殿様の参勤交代の街道であった。写真は現在の旅篭町あたり。その名の通り昔は旅篭(宿屋)が並んでいた。 | 高岡から名古屋へ約3時間。大阪へ約4時間半、東京へは約6時間で行くことができる。 |
藩政時代は千保川のここが舟着場で、多くの物資が揚げ降ろしされて賑わった。昭和30年代まで舟着場が残っていた。 |
JR北陸本線、JR城端線、JR氷見線。
路面電車の万葉線。
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写真右の大木のあたりに木町がつくられた。写真右のほうから千保川が流れて来て小矢部川へ注いでいる。木町は千保川の舟運の采配権を与えられ栄えた。 | 小矢部川河口は、万葉の昔から要港として栄え、江戸時代には北前船で賑わった。今は国際貿易港として活躍。 |
利長公が豊臣秀吉から貰い受けた御車を高岡町民に与えた。技の粋を集めて改造し、7基揃えて祭りの山車として今も5月1日の祭りに引き廻している。その山車を所有している町を山町と呼んでいる。山町筋は商人町として栄え今に至っている。 | 末広町、御旅屋町の交差点。最近は人の流れは郊外の大型ショッピングセンターへ変わっている。 |
金屋町並み。利長公が鋳物師を招いて、特権を与え仕事をさせた町。住まいの後ろに鋳物工場があり、活気に満ちた町であった。昭和40年ごろから工場は郊外に移転し始め、今は情緒ある町並になっている。観光客の姿をよく見かけるようになった。 | 戸出銅器団地:昭和52年高岡銅器団地協同組合を設立し、戸出の田園地帯に造られた。住宅地での道路事情、公害問題など市街地で仕事を続けることが難しくなったため、多くの工場がここへ移転した。 |
高岡開町400年の年表
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