瑞龍前田公遺徳碑:古城公園本丸広場

105号 2008.9月発行

――――――いざ、高岡城へ――――――
開町400年の一年前イベント:総登城まつり

慶長14年(1609)9月13日加賀藩二代藩主前田利長が高岡に城下町を開きました。
399年前を偲んで市民が歩いて高岡城へ集合しました。
歩きながら歴史の重みを感じ、町の良さを再発見できました。

時をこえ 心をつなぐ 
高岡開町四百年

のキャッチフレーズのもと
4500人が集まりました。

市長の挨拶に続き、
前田家18代当主
前田利祐(としやす)氏
の挨拶もありました。


まちなかウォーク
  町を探索する催しで、
3つのコースがあります。

学びイベント
古城公園スタンプらりー、
  古城公園内の博物館において
学芸員による説明など

にぎわい広場(於:本丸広場)
ペットボトルで作られた天守閣
  火消し衆の出初式

ものづくり体験
  鋳物によるストラップなど

ライトアップ
399年前、利長公が隠居していた富山城が火災で焼失したので関野(今の高岡)に新しい城を築き、城下町を開くことにした。キリシタン大名の高山右近の設計により、21万uの広さのうち約3割が水濠で占める難攻不落の名城であったという。徳川と豊臣の対立する二大勢力の中にある苦しい立場上、隠居の身となってここから政を行なおうとしていたのだろうか。
ここは加賀・能登・越中の三国の中心であり、主要官道の北陸街道が通り、水運に適した大きな川があった。また背後には射水・砺波平野の穀倉地帯が広がっていた。

城の周りに武家屋敷、北陸街道沿いに商人の町、千保川左岸に鋳物職人の町を開いた。



高岡古城公園御案内

↓二の丸          ↓本丸
市民会館があります。  広場と射水神社



中島小竹藪広場→






←三の丸
    民部の井戸→
   築城当時を偲ぶ貴    重な遺構
  ↑鍛冶丸
市立博物館があります



↓大手門(赤い印)
↑明丸
動物園があります



↓枡形濠:白鳥がいます
↓明丸にある動物園
無料なのでいつも子供たちで賑わっています
↑朝陽橋
本丸(左)と小竹藪広場(右方向)をつないでいる橋。築城当時は橋は無く、必要なときに橋を渡すしくみになっていたらしい。


高岡古城公園の歴史


二の丸、本丸間の土塁の両側に現存する石垣
1609年 利長入城。設計は高山右近による。
1614年 利長没する。
1615年 一国一城令により廃城。
その後  加賀藩三代藩主利常は、万が一に備え、濠や土塁はそのままにして城の機能を残した。
加賀藩の米や塩の蔵を置いて、流通基地として、高岡の発展を支えた。
1875年(明治8年)高岡古城公園となる。
払い下げの危機を、住民による公園指定請願運動のおかげで公園として生まれ変わった。

全国でも指折りの水濠公園で、季節ごとに美しい景色を水面に映している。石垣や土塁、濠などの一部は昔のままのおもむきを残している

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