104号 2008.8月発行


――――――梵鐘造りの名人――――――

表題の写真は広島にある平和の鐘です。
今年も8月6日、広島の平和公園でこの鐘が鳴り響きました。
この平和の鐘は高岡市の老子製作所で鋳造されたものです。
人間国宝香取正彦氏のデザイン、造形により、鋳造したのは老子次右衛門でした。
老子次右衛門のお話を紹介しましょう。

薄暗い鋳物場に、「カチッ、カチッ」ときぬたの音が響き渡る。鋳型へ赤く煮えたぎった湯(溶けた金属のことを鋳物師は湯と呼ぶ)を流し込もうというときである。職人たちは神経を集中させ、呼吸を整える。「カチッ、カチッ、カチカチカチ」「それっ」と掛け声がかかると湯が注がれ、怪しい光と熱を放って鋳型の中へ吸い込まれていく。掛け声の主は老子次右衛門であった。その孫である老子秀平氏が仕事場へ連れて行ってもらったときの思い出話である。危険と隣り合わせの中で、最高のものを造ろうとしている鋳物師の心意気が伝わってきた。

老子次右衛門は鋳物の町金屋が生んだ梵鐘造りの名人である。金屋町は、加賀二代藩主前田利長が高岡に城下町を開くにあたり、鋳物師を呼び寄せ仕事をさせた町である。防火上千保川の向こう側に造られた鋳物の町はその川の舟運に支えられ発展して400年、今に至っている。


14歳の次右衛門が鋳物師喜多家(現釜万鋳造所)で働き始めた明治25年ごろは、まだまだ近代化には遠く、辛い仕事であった。金属を溶かすとき、当時は「たたら」と呼ばれる大型のふいごを使用した。8人ほどで大きな板を交互に踏み込んで風をおくる装置で、この作業は夜通し続けられる重労働だった。明治43年33歳で独立すると、過酷な労働現場を近代化させるべく、機械化、技術改良に取り掛かり、作業能率を高めた。昭和20年代後半になると、戦中に梵鐘を供出して無くしていた寺院から続々と注文が入った。精力的に製作し、全国にその名を広めることとなった。

昭和23年 株式会社老子製作所設立。常に、梵鐘の美しい形、唸り渡る響きを追求し続けた。銅など原料の溶解温度や速度を研究し、他に真似のできない独特の技術を得た。銅合金の配合、鐘の形、口径部の厚みや、突き棒が当たる撞座の位置などいくつかの要因によって微妙に変わってくる音色の研究にも余念がなかった。デザイン技術指導に梵鐘金工の第一人者で人間国宝の香取正彦氏を迎えた。広島平和の鐘は、氏が描いたデザイン、形を基に、現場の次右衛門と音など細部に渡り打合せをして鋳造されたものである。氏が多くの名鐘を釜V子製作所で造ったのは、次右衛門の技術を信頼していたからに他ならない。

 84歳でその生涯を閉じたが、その功績は、黄綬褒章、紺綬褒章、勲六等単光旭日章としてたたえられた。朝早くから夜遅くまで働いた仕事一筋の人であったという。5歳で父親を亡くしていた秀平氏にはやさしいおじいさんだったという。単なる職人というより、最高のものを追求した哲人であったというほうがふさわしいかもしれない。

 次右衛門が作り出した音は、毎年8月6日平和を願って空へ散っていく。

老子製作所:息子が学校から見学に行った時の写真
釜万鋳造所(赤いシャッター):千保川のほとりにある
たたら:鋳物資料館に展示されている
飛鳥寺の鐘:老子製作所鋳造
高岡の二上山にある平和の鐘:老子製作所鋳造
高岡古城公園のカリヨン:老子製作所鋳造
なでしこの部屋======= <このごろ思うこと
偽装していた事や、簡単に人の命を奪う事件など、人の絆の崩壊を感じさせる出来事が毎日のように報じられています。忘れていた中学の一年生夏合宿で聞いたお坊さんの話が、蘇ってきました。
高岡市二上山のふもとにある国泰寺で一年生全員が合宿しました。1時間の座禅を子供だからということで、途中休憩を入れて30分を2回行いました。足がしびれて痛いし、お坊さんに棒でたたかれはしないかと緊張して、非常に長い30分でした。食事を頂く前に、般若心経を印刷した紙を見ながら「はんにゃ〜は〜ら〜み〜た〜」と唱えるのですが、「はんにゃ〜は〜ら〜へった〜」という声が聞こえて笑いをこらえて唱えていたところまでは、楽しい思い出です。
夜、お坊さんのお話を聞きました。「衣・食・住・信・のなかで一つだけ与えてもらえるとしたらどれがいいですか。」とやさしく問いかけられました。当時中学1年の私にとって「信」は問題外で、3つのうちどれにしようか迷っていました。「もしも、家を建てた大工さんを信じることができなかったら、床が落ちてけがをするのではないかと安心して住めません。もしも、人を信じることができないと、道を歩いていてすれ違う人に刺されるのではないかと不安でしょう。」「信」がなければ平穏な生活を送ることができないということを聞かされ怖いなと思ったものです。信じているから成り立っているということが、世の中には多くあることに気付かされました。
それがどうでしょう、今の世の中「信」がなくなっているのではと不安になります。