鋳物資料館前に設置 |
102号2008.6月発行 |
―――――――さまのこフェスタ&御印祭―――――――
さまのこフェスタ | 平成20年4月26日、27日 さまのこ(千本格子)の町並みを楽しんでください。 金屋町は、加賀二代藩主前田利長が高岡開町にあたり、鋳物師を招いて仕事をさせた町です。400年近い歴史がある町です。 |
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金森藤平家: 工芸美術・立川善治展 黒谷家: 雅楽演奏、生田流琴曲 若野家: 日本画道吉勝重展、 鋳金家般若保展 小泉家: お茶席、 クラフト作品展示販売 金屋緑地公園: 鋳物体験(錫の携帯ストラップなど) 宗泉寺: 金屋寄席 神妙寺: 学生さんの作品展示 協賛各家: いけばな展示 石畳通りライトアップ 弥栄節踊り |
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御印祭 | 加賀藩二代藩主前田利長公の遺徳をしのび、高岡鋳物の繁栄を祈念するお祭りです。 | ||||||||||||
6月19日 18:30 御印太鼓 (金屋緑地公園) 19:15 前夜祭弥栄節踊り (金屋緑地公園) (石畳通り) 21:20 奉納踊り (金屋町公民館前) 6月20日 11:00 神事 (金屋町公民館) 16:00 子供踊り町流し (金屋全町内) |
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利長公墓前で奉納踊り 御印祭では、有礒正八幡宮から金屋公民館へお招きした神様(金毘羅神、石凝姥神、日本武尊、前田利長命)の御前で、小学5、6年生が弥栄節の踊りを奉納します。今年は初めて利長公の墓前へ出向いて踊りを奉納しました。この墓に眠っている利長公のおかげで金屋町が生まれ、その後多くの人々の努力で今日まで続いていることを、子供たちに感じてもらう良い機会ではないかと思います。梅雨期の最中で、この日も雨模様でいしたが、囃子方として参加した金森さんは「踊りのときはしばし晴れ渡り、町の人の気持ちがお殿様に伝わったように思えた」と話していらっしゃいました。(写真提供:金森さん) |
なでしこの部屋======= <特権> 慶長14年(1609)加賀二代藩主前田利長が高岡に城下町を築くにあたり、鋳物師を招いて、宅地、仕事場を与え仕事をさせたのが、私の住む金屋町です。利長は税免除の他、種々の特権を与えて、鋳物の発展に力を注ぎました。利長の死後まもなく鋳物師たちは、ご恩に感謝し、命日にお参りしていたことが、今日の御印祭に繋がっています。 御印祭の前夜に踊る「弥栄節」は、つらい鋳物作業の中で産まれた唄です。しかし作業の近代化などにより、しだいに歌われなくなりました。昭和初期に歌いやすく編曲し、踊を振付けて「弥栄節」を後世に残そうとしました。御印祭で踊るようになったのは戦後のことです。6月20日は午前中神事が行われ、4時ごろから子供の踊りが町内を廻りました。私が小学生のころ、20日は4時の踊りにむけて着替えなど準備があるので、午後は2時ごろに学校を早退しました。「金屋の皆さんはこれで帰ってください」と校内放送があると、そそくさと教科書を片付けて、「いいな〜」という声を背にして教室を出ました。なにか「特権」という感じがして誇らしかったものです。 |