25号 我が家のお正月と加賀文化
発行 2002.1月
このお菓子は毎年のお正月に、我が家に来られたお客様にお出ししている「福梅」です。
昨年、石川県菓子文化会館でこの福梅をみつけました。
前田家の家紋を型取った「もなか」で、お正月用お菓子として
古くから伝えられているとありました。
そこの説明によると、
加賀百万石の礎を築いた前田利家は多くの文化を奨励し、
その家風は前田家に引き継がれ、
加賀文化や茶の湯の文化を育て、
多くの菓子を生みだし今に伝えたということです。
季節の行事や人との付き合いを大切にする加賀の人の生活と結びついて
もっと発展したようです。
ここ高岡でも行事に和菓子は欠かせません。
高岡の和菓子も金沢に負けないくらいおいしいのも頷けます。
毎年同じお菓子で飽きていましたが、
大河ドラマ「利家とまつ」の影響でいつもよりおいしく感じました。
ほかにも、高岡の生活の中に加賀と共通するものがあります。
 嫁の実家が婚家へ歳暮としてブリを送り、片身のお返しを受ける風習がありますが、これは金沢にもあるらしいのです。我が家はブリが好きなので、結婚して20年経ったいま、格をおとしてガンドブリを歳暮としてもらっています。加賀の風習のおかげで毎年おいしい思いをしています。
 私が年暮れに欠かさず作っている「かぶら寿司」も加賀料理です。ただ金沢ではブリをはさみますが、我が家はサバをはさみます。この辺りではサバのほうがおいしいという人が多のです。ブリは大名の口に合い、商人の口にはサバが合うのでしょうか?


私が作ったかぶら寿司



金沢の風土と文化
「歴史・文化ガイド 前田利家の時代」(監修者三鬼清一郎)長谷川孝徳氏書

 家の玄関や窓、庭の植木等に雪囲い
 大根を大量に買い込み、朝漬けやたくあん漬け
 かぶら寿司の漬け込み
 ふぐの粕漬け、巻鰤、棒鱈、加賀麩など・・・・・・


金沢の文化をみるとき、その歴史のみならず、
そこに生活してきた人々と風土との関係も見逃してはならないのである。
前田利家が入城した頃の金沢の文化は
おそらく現在伝えられているものと大きく異なっていたであろう、
あるいは尾張や近江の生活文化に近かったかも知れない。
しかし北陸の風土の中で暮らすうちに、
城下の人々は次第に独自の文化を生み出していったのではないだろうか。

※高岡でも雪囲い、大根漬け、かぶら寿司の着け込みの習慣があるのは「たたら」で紹介しました。
参照ー雪囲い・・「たたら11号」、大根漬け・かぶら寿司・・「たたら12号」

なでしこの部屋

大河ドラマ「利家とまつ」を見て思ったこと

この辺ではお正月に、しめ縄を玄関の上に飾ります。真中に飾るみかんはもとは橙(だいだい)であったのが、数が少なくなったのでみかんに変わったようです。橙は家が代々栄えますようにとの願いを込めて飾るそうです。願いがかなったのか、加賀藩前田家は現在18代目の時代となっています。皇室にお生まれになった敬宮愛子様の文運と健康を祈る「浴湯の儀」で、旧大名家が行うことが慣例となっている鳴弦役を務められたのが、前田家18代当主前田利祐氏と、徳川家18代当主徳川恒孝氏のお二人でした。
 その前田家の礎を築いた夫婦の物語がテレビで始まりました。ここから四百年の歴史が始まるのだと、第一話を感慨深く見ました。戦国時代は男も女もそれぞれの特性を生かしてお互い助け合い、思いやり、目標に向かって力強く生きていたのです。末っ子もあと数ヵ月で親元を離れるので、主人と二人の時間が多くなりますが夫婦について考える良い機会になりそうです。
 頭の構造が単純な私は映画を見終わったらヒロインになってしまうタイプです。どうやら今年は「まつ」で一年を過ごしそうです。「私におまかせ下さりませ」