24号 発行 2001.12月

「前田利長、利常まちづくりフォーラム」

二部

演題 「利長のまちづくり」
講師 晒谷和子氏
 高岡市立中央図書館副館長

隠居していた富山城が焼失したため高岡に城を築くことにした。高岡の地名は、詩経の「鳳凰鳴矣 干彼高岡」より取ったと伝えられている。

高岡を選んだ理由
  • 加賀、越中、能登の要にいちする。
  • 砺波、射水両平野の穀倉地帯がある。
  • 千保川・小矢部川の水量が豊かで舟運に便利で、外港である伏木港へ続く。
  • 縄張(設計)…高山右近
利長の町づくり
  • 北陸道の変遷    福岡―立野―横田町―旅篭町―通町―守山町―小馬出町―平米町―土器町(大坪町)―古定塚―二口―水戸田
  • 木町を設け、資材集積の基地とする(小矢部川と千保川の合流地点に)
  • 町割り(碁盤目状の町並み)

 侍屋敷
 枡形の内(御旅屋町・宮脇町など)

 集まった人々が作った順につけた町名
 一番町・二番町・三番町

 旧城下町から移った人々の町
 守山町・木舟町 

 職種により集まって住んだ町
 桶屋町・檜物屋町・旅篭町など

 地名、地形、位置等でついた名前
 鴨島町・通町・御馬出町・坂下町など 

 ※金屋町……砺波郡西部金屋の鋳物師を呼び寄せ、鋳物工房を開設した

  • 城下の防備

 ・随所に枡形、馬出を設ける
 ・用水をめぐらす(防衛、防火、除雪、排水)
 ・要所に寺社を配置

演題 「利常のまちづくり」
講師 樽谷雅好氏

 (財)高岡市民文化振興事業団理事

利長の死後、一国一城令のため廃城となり城下町の機能は失われた。三代藩主利常がこれを商工都市へと蘇らせた。(米、麻布の集散地、魚問屋、塩問屋の創設など)

略歴
1593 誕生。利家四男。利長と異母兄弟

1601 徳川秀忠の次女、珠と結婚

1605 加賀三代藩主となる

1614大坂冬の陣、夏の陣に徳川方で活躍

1620 高岡町人に転出禁止令を出す

1639 長男光高四代藩主。小松城で隠居 次男利次富山藩主。三男利治大聖寺藩主

1645 光高急死。3歳の綱紀が五代藩主となる。綱紀を後見。瑞龍寺の建立開始

1658 綱紀結婚。10月利常没 66

利常に謀反の疑いありと噂が流れた時、江戸城でアホウのふりをして危機を乗り越えた話がある。また、高岡を防御の要とするべく古城の濠を残し、壮大な利長の墓を建て、鉛瓦(鉄砲の弾になる)の瑞龍寺を構築した。その他様々の事績を残し、藩政の土台を固めた。

 
加賀三代藩主前田利常

那谷寺蔵―高岡市のパンフレットより


なでしこの部屋

講演を聞いて
 講師の樽谷さんは代々魚屋だそうです。この商売を続けてこれたのは前田利常のおかげだとおっしゃいました。越中で高岡の商人だけが魚を扱える特権を与えられていたそうです。魚のほかには綿、材木などがあったそうで、利常が高岡を商工の町にしようと努めたことがわかりました。わが金屋町の鋳物業も利常の恩恵にあずかってきました。こうしてみると、高岡の産業のほとんどがこの時代を出発点として、様々に変化しながら今日に続いてきているように思えます。
 困難なときも先人に学べば、秘策が見つかるかもしれません。たとえ具体的な策が見つからなくても、誇りをもって精力的に生きる姿に何か得るものがあるような気がします。