77号 2006.5月発行


―――――――――生まれて50年経ちました―――――――――


「金屋なでしこ」こと私は、この世に生を受けて今月で50年経ちました。その記念にと、アルミ製のネームプレート(表題の写真)を作りました。絵筆で好きな文字などを書くだけで原型が出来ます。あとは鋳造してもらいます。私はアルミで作りましたが、ブロンズ製もできるそうです。
作ってみたい人は 大寺幸八郎商店さんへ
場所: 金屋町6−9
     石畳通りの中ほど、体操をしている子供の像が目印です
電話:0766−25−1911
 
板状の発砲スチロールに、シンナーを染み込ませた絵筆で文字や絵を描きます。

※注意: シンナーの量が多いと融けて穴が開きます。筆を止めると、シンナーが染み込みすぎて太くなったり穴になったりします。あらかじめためし書きをしてみてコツをつかむといいです。
これで原型ができました。
鋳物屋さんで鋳造してもらい2週間ほどでできあがります。
この型を、箱に入った砂の中に埋めて、特殊な方法で砂を固めます。型に届くように湯道(溶けた金属が流れる道)をつけます。その湯道に、溶けた金属を流し込むと発砲スチロールが融けてしまいます。その空間で金属が冷えて固まり、型通りのものができあがるというわけです。
この鋳造という作業は、日本では弥生時代から、世界では5500年前から始まったそうです。鋳造は人類が文明社会の基盤を確立した技術だということを本で読んだことがあります。
ぜひあなたも、人間にしか味わえない創造の楽しさを体験してみませんか。



5月14日 有礒正八幡宮の神輿が町内を廻ります
私の誕生日を祝っているのではありません
春のお祭り、御神幸祭です。
でも50年前、私を産んだばかりの母にしてみれば、
祝福してもらったように感じていたのではないでしょうか
金屋に生まれて、金屋に嫁いでいるので、このお祭りとともに50年の歳を重ねてきました

神輿
高岡市指定文化財(平成13年1月指定)
元禄9年(1696年)作
天明年間(1781〜1788)に復興され、
嘉永年間(1848〜1853)に大修理
全体を飾る金具に特徴あり
鋳物の町としての金工技術の粋を集めて製作
←わが金屋東町の祈祷所です→
朝から町内の皆さんで飾りつけます




バトンを繋ぐ

 1年を1mと考えると、私は生まれてから50m歩きました。地球が生まれてから137億mという距離、卑弥呼がいた時代からは1700m程の距離になります。
 私は、親や近所のお年寄りから、また、偉人伝の主人公や名言を残した昔の人々からバトンを受け取り歩いてきました。親たちも、誰かからバトンを受け取ったはずです。そうやってさかのっぼていくと、卑弥呼からバトン受け取った人にたどり着けるはずです。人間はその一生は短いけれど、文化を次の時代へと繋いできました。私の足跡は高々50mですが、原人が出現してからのその足跡は500kmにもなるのです。これだけ長い道のりの記憶がバトンタッチされてきています。
 私は、この先どのくらい歩いたらバトンを渡すことになるのかわかりませんが、落とさずしっかりと私の思いをプラスして、次の時代の人に渡したいと思っています。