120号2009.12月発行

鳳凰像、背後に金屋緑地公園(鋳物工場跡地)

 ――――――高き岡に鳳凰の羽音が―――――
慶長14年(1609)9月13日加賀二代藩主前田利長が高岡城へ入城
詩経の一節「鳳凰鳴けりかの高き岡に」から新しい町を高岡と命名
あれから400年
幸福な町に舞い降りるという鳳凰ははたして・・・・


幸福な町をめざして、わが金屋町のとりくみを紹介しましょう。

400年の歴史の伝承
御印祭
御印祭は、利長公の遺徳をしのんで400年ほど前から始まった祭です。
今年の前夜祭(6月19日)には、1000人を超える弥栄節の踊り手が、石畳み通りを踊り流しました。大勢の観客が訪れて、利長公にも喜んでもらえたと思います。奉納踊りの大役を任せられた小学5.6年生の子供たちも祭りの意味をかみしめて真剣におどりました。命日(6月20日:旧暦5月20日)には利長公の墓所で踊りを披露しました。
弥栄節保存会
弥栄節とは鋳物の作業中に生まれた唄です。金属を溶かすときに「たたら」という大きなふいごを使いました。これは3畳ほどの大きさの板をシーソーのように交互に踏んで溶解炉に風(酸素)を送り込むものでした。6人が二手に分かれて一昼夜板を踏み続けるという重労働でした。そのときに6人の足並みをそろえるためと、元気付けるために唄われるようになったものです。鋳物の近代化が進み「たたら」が不要になると、唄われなくなりました。先人の心を伝える唄を失くしてはいけないということで、昭和の始めに唄いやすいように編曲し、踊りを振付けて残そうとしました。戦後になってこの踊りを御印祭の前夜祭に踊るようになって今に至ります。保存会では、普及活動、地元小中学校への指導、イベントへの参加など「弥栄節」を次代に伝えていくために、努力しています。

開町400年記念式典にて

金屋町楽市にて


新しい企画
金屋町楽市開催(第一回2008・10月:第二回2009・10月)
工芸x生活x産業が同居する空間の再生とクラフトマーケットです。
江戸時代初期以来の町並みと銅器工芸の職を残す金屋町全域を使って行う生活空間内展示。
金屋町を体験してもらうイベント「さまのこフェスタin金屋町」が、今年は金屋町楽市と統合しました。このイベントは「藤グループ」が中心となり金屋自治会等が協力して、2001年から毎年開催されてきたものです。
主催:金屋町楽市実行委員会
富山大学芸術文化学部、金屋町自治会、富山ガラス工房、金沢卯辰山工芸工房、隈研吾建築都市設計事務所、高岡市、高岡市観光協会

楽市で活躍したアルミブロック
仕掛け人伊藤順二教授(富山大学芸術文化学部)がお考えになったことには、「日本人の感性に合う美しい市をやろう。ただ伝統にのっとるだけではなく、次世代につながる新しいものをぶつけたい。」ということでした。作品を飾る什器のデザインを世界的な建築家隈研吾氏に依頼するにあたり、「美」「地域性」「永続性」「可変性」を満たすものと注文されたそうです。隈氏の発想力、感性と、地元の三協立山アルミが技術力を発揮してアルミブロックが誕生しました。
これは、大きさは様々、立体的にも平面的にも、三角にも多角形にも形をかえるすぐれものです。作品を飾る台としてだけでなく、アルミブロックそのもがモニュメントとして人々の目を楽しませ、また通りの片隅で椅子、テーブルとなり喜ばれていました。


カフェの空間自体をアルミブロックで構成するといった新しい試みも大成功でした。
富山大学芸術文化学部との連携
県内の自治体との連携事業や商店街の活性化、企業との共同による商品・デザイン開発など、地域や企業と連携した活動を積極的に展開しています。
大学との連携でえた情報や学生とのコラボレートで培ったデザイン感覚をさらに研ぎ澄まし、地域のノウハウと融合させ、ものづくりの魅力を磨きあげていけたらいいと思います。
「町なみを考える藤グループ」の皆さんの活動
金屋町の住民が、金屋町の歴史と文化を学んで郷土愛を育み、また、おもてなしの心で観光客をお迎えし金屋町の活性化をめざしています。
・古老や歴史家を講師にし地域を学ぶための講座を開設・金屋観光の案内及び説明・金屋緑地公園の清掃・鋳物資料館の資料の整理・その他この会の目的達成に必要なこと
 金屋町には400年の伝統と歴史、文化財が多々あります。千本格子と石畳み通りは今や都会人から「癒しの町通り」として情報誌等に紹介されています。グループの皆さんはこの歴史的遺産と伝統を次の世代に伝えるために、保存に向けてがんばっていらっしゃいます。


24日の隈研吾氏、高橋高岡市長、伊藤順二教授のトークショーでの隈氏の発言の中で心に残ったことを紹介します。ヨーロッパでは舞台となる町を毎年選んで、金屋町楽市のようなイベントを行っているそうです。街では、選んでもらえるように努力しているそうです。この金屋町は舞台になるに相応しい街だと言われたので、高岡市長もうれしそうでした。町づくりは核となるストーリー(物語)がなければならない。この町には400年の歴史があり、今作ることのできないストーリーがある。少し前までは、古いものをすべて無くして新しい物語をつくることに専念していた。この点は反省すべきである。特にこれからの時代、中心的な考えはおもてなしというような心の交流である。生活に馴染んでいる茶道、おもてなしを考慮した住宅など、高岡にはおもてなし文化が根付いている。ひとを引き付ける町をめざしてほしい。と、がんばろうという気持ちになるお話でした。
先人が作りあげてきた「物」や「心」をさらに先へ繋げていこうと強く思いました。そして多くの人に、こんな金屋町に魅力を感じてもらえたら、それこそ鳳凰が舞い降りる幸福の町といえるのではないでしょうか。

利長が奨励した鋳物はやがて銅器やアルミといった産業を興し、
「ものづくりの町」として今もその精神を受け継いでいます。
利長の後を継いだ利常が、城下町から商工業都市へと再生させて、
米や綿で富を築いた商人たちが町に繁栄をもたらしました。
町の運営は今で言う民間委託が進み
町人文化が栄えて、伝統産業、近代産業の発展に繋がりました。
高岡市史では高岡人のことを
「実利に疎い役人を利用し、無益な争いをしないというのが身上で、
営利にはめざといが、政治運動には至って冷淡であった」
と書いています。政治よりも商売が大事という気質だったようです。
ここに高岡の短所と長所が見えてくるように思います。
これを踏まえて、長所を活かし常に向上心をもって進む高岡人でありたいと思います。
鳳凰が羽音をたてて舞い降りる日を夢見て。


  次号お楽しみに