No.010 |
吉久の獅子舞「ハイッタハイッタ」
「さまのこアートinよっさ2010」が開催されている高岡吉久を訪問しました。
吉久は藩政時代、加賀藩の米蔵があり、栄えていたところです。わが町金屋と「町並を考える」という点で交流しています。今回、水持家で行われる獅子舞に、金屋町の住人に招待があり、新保さんと二人で参加しました。
祭り好きの私たちは獅子舞と聞くと血が騒ぎます。私が幼いころ金屋町にも獅子舞がありました。獅子頭を持った人の後ろに風呂敷を大きくしたような「かや」と呼ばれる布のなかに5、6人が縦に並んで入り、音楽に合わせて「かや」を左右上下に動かして、まるで巨大な獅子が踊っているかのようです。一般にムカデ獅子と呼ばれるものです。午前中は町内に関係ある家や企業へ出向いて行き、その後、町内の家々を順に廻って舞っていました。私が3歳くらいのころ、一人で獅子についていってしまい、親に心配かけたそうです。私の祭り好きは幼いときからのようです。
その年に結婚式があった家とか、家を新築した方のところでは長く演じます。真夜中近くになるといよいよクライマックスの「シシゴロシ」という2時間ほどもかかる演目を演じて終わります。 まだ小さかったので寝てしまい「シシゴロシ」は見たことがありませんでした。大きくなって見られるのを楽しみにしていたのに、獅子舞は取りやめになってしまいました。人手不足になってきたのでしょうか。
それでも騒ぐ血を抑えられない人たちが復活させました。私が金屋町で結婚して2,3年したころです。我が家の玄関先で獅子と天狗の舞いが行われ、天狗に続き、獅子が「かや」を大きく振りながら家の中へ一気になだれ込みました。幼いわが子を抱きながら、心躍らせていました。
獅子舞を見学するのはあの時以来です。 吉久の獅子舞は喜び事のあった家の座敷まで上がり込み、舞いを披露してくれると聞きました。金屋は玄関までしか上がりません。
私と新保さんは、わくわくして祭りの御膳に着きました。お酒が入り、場が和んだころ、お獅子がやって来ました。天狗とともに家の中へなだれ込んできたときに私は手がちぎれるほど拍手をしました。
御膳が並ぶ座敷の真中で獅子舞が始まりました。夢中でシャッターを切り、楽しいひと時が終わりました。外で、天狗がタイマツを持って舞うのは初めて見ました。
興奮さめやらぬ二人はよかったねと話をしながら帰路につきました。
2010.10.16 |
参考:ミニコミ紙「たたら」のページで、関連記事が載っている号を紹介
たたら95号 | 吉久までウォーキングをしたときの様子 |
たたら115号 | 吉久は加賀藩の米蔵があり、栄えた所です。高岡の周辺には穀倉地帯が広がっています。今の高岡朝市の様子です。 |