No.008
水天宮

月16日、千保川の横田橋詰めで灯籠流しが今年も行われました。灼熱の太陽が西の山に姿を隠すと、近所の人たちが団扇を片手に集まってきました。

中島町では古くから水天宮の祭りを続けています。市街地を流れる千保川は、400年ほど前までは庄川の本流でした。加賀藩三代藩主前田利常が、二代藩主の利長公の菩提寺である瑞龍寺を洪水から守るために、大工事の末、川筋を今の庄川に移したそうです。川の水量が減り中州ができて、そこに人が住んでできたのが中島町です。大雨が降ると川は元の筋に流れ込み、中島町は何度も洪水に襲われました。人々は水天宮を祀って、亡くなった人の霊を弔い、水難除けの祈りを捧げてきたのです。

車の無い時代、高岡の繁栄を支えたのは千保川の舟運でした。中島町は、水路と北陸道の交わるところにあって、大変賑わっていた町でした。人々は川から受ける恩恵に対する感謝の念もこの祭りに込めたのではないかと思います。

「この祭りには、多くの人の思いが込められているので、長く続けていかなければならないと思っている。派手で人の興味をそそる形よりも、子供の代までも続けていける形をと考えている。」と、中島町自治会長の佐野さんはおしゃいます。

中島町の人が協力しあって5000個ほどの灯籠を作りました。児童クラブの子供たちは、大きめの灯籠に絵を描いたり、窓をあけたりして思い思いのものを作りました。
中島町以外の人も、一個200円で灯籠を買うことができ、願いごとを書き込むなど、それぞれの思いを込めます。千保川の護岸の上で待ち、係の人が降りていって流してくれるのを見守ります。思いを託された灯籠たちは列を作って川を下り、役目を果たすべく闇の向こうへと消えてゆきます。

2010.8.16


参考:ミニコミ紙「たたら」のページで、関連記事が載っている号を紹介

たたら92号 水天宮のお祭りを紹介
たたら56号 千保川で繰り広げられた庶民の祭り「七夕流し」を紹介
2006年に廃止となってしまいました