No.007
伏木にて

7月11日たかおか観光地学習会(全6回)の第3回に参加しました。高岡市にあるボランティアガイドの団体の人たちが、市民に高岡を知ってもらい、さらにボランティアガイドの活動を知ってもらうため企画されたのもです。この日は伏木地区をボランティアガイド「比奈の会」の方々の案内で散策しました。
伏木地区は万葉の昔から要港として栄えてきました。746年、万葉集の編者である大伴家持が越中国守として5年間過ごした所です。1187年、奥州に落ちのびる義経にまつわる伝説が「如意の渡し」、「雨晴海岸」、「気多神社」等に残っています。江戸時代後期、「勝興寺」は加賀藩主前田家、本願寺、公家とも密接なつながりを持ち北陸を代表する有力寺院として栄えました。また、伏木港には、北前船が出入りして、高岡の商工業都市としての発展に大きく貢献しました。その後国際貿易港として活躍しています。

高岡市伏木気象資料館(旧伏木測候所)
伏木測候所は、明治16年に伏木港近代化の恩人藤井能三らの手によって、わが国初の私立測候所として伏木燈明台の一室に設立されました。その後、移転、県営・国営への移管を経て現在の地に落ち着き、平成10年には無人化されました。現在も気象観測を続けています。
またこの地は、越中国守大伴家持がすんでいた館のあったところと言われています。

勝興寺
文明3年(1471)に本願寺8世蓮如上人が越中国砺波に営んだ「土山御坊」に始まります。天正12年(1584)佐々成政によって現在地で寺を営むことが認められました。戦国時代には越中一向宗の中心でした。藩政時代には加賀前田家と関係を深め、越中における浄土真宗の要として近世にいたるまで権力を振るいました。寺内町と呼ばれる門前集落は加賀藩から特別の待遇を受けた勝興寺の後ろ立てにより北前船に代表される海運業で栄えてきました。
またこの地は越中の国庁のあったところと云われており、大伴家持はここで5年間国守として5年間滞在していました。

北前船資料館
ここは江戸時代から回船問屋を営んできた旧秋元家の邸宅です。港への船の出入りを見張った望楼に登って見学しました。幕末のころ伏木港は多くの船で賑わっていました。時代が変わって明治になると、港の周辺には多くの企業が立地し、一帯は大きく繁栄しました。

伏木地区の海沿いに隣接した雨晴には古墳群があります。縄文時代の遺跡もあります。縄文時代から現代までの歴史が刻まれている地区です。最近元気がなくなっていますが、土地の利を活かし、先人に学べば未来が見えてくるのではと思います。歴史を伝えるべく頑張っていらっしゃいますボランティアガイドの皆さんの姿が輝いて見えました。
高岡市伏木気象資料館
越中国守館跡
気象観測場このあたりは大伴家持の館でした。今も港が見えます。
勝興寺
北前船資料館
北前船資料館の望楼から港を望む
2010.7.11


参考:ミニコミ紙「たたら」のページで、関連記事が載っている号を紹介

たたら55号 伏木地区の紹介
たたら94号 大伴家持を紹介