23号 発行 2001.11月

「前田利長、利常まちづくりフォーラム」

平成14年NHK大河ドラマ「利家とまつ」が放送されるに当たり、高岡の町をつくった二代藩主前田利長と商工の町としてさらに発展させた三代藩主利常の二人を中心として、加賀藩政以来の高岡の成り立ちと町づくりに対するその時々の町民の熱意、活動をたどります。            
―11月11日県高岡分化ホール・高岡市主催―

市の広報誌で知り、主人と二人で参加しました。前田様あっての金屋町ですから。

一部 演題「日本一の妻まつ」
     講師:竹山洋氏 
     平成14年NHKドラマ「利家とまつ」作者
 


竹山氏はザラ峠を見たくて東京を朝早く出発されたそうだ。ザラ峠とは、佐々成政が徳川家康に支援を頼むために越えて行ったであろうと言われる峠だ。北アルプスを越える峠で標高2348mあった。しかし家康の支援を得られず直ぐに富山へ引き返した。真冬の北アルプス越えも無意味に終わったという悲運の名将にふさわしい伝説の峠のことだ。氏は歴史物語を書くときは、歴史の現場を実際に自分の目で見、体験してみる。そうしないと良いものが書けないとおっしゃる。つい先月、北陸道を自分の足で歩いた体験上納得できる。
 さて「利家とまつ」を書くにあたって、一番描きたいのは、夫婦の信頼だそうだ。戦乱の世をくぐり抜け、前田家の末永い繁栄の礎を築いた、その根底にあったものとは夫婦の信頼にほかならない。それにからめて母子の愛、友情なども表現していくそうだ。
 時代背景は400年も前の戦国時代だが、現代の社会にも通じるところがありそうだ。さてどんなドラマになるか楽しみだ。

       

二部は第24号で紹介

利家とまつ
1537年 加賀藩初代藩主前田利家生まれる。(天文7年説もある)尾張国荒子の土豪前田氏の4男 筆者とまつ
1547年 利家の正室となる「まつ」生まれる。尾張国海東郡生まれ
1550年 まつ、前田家の養女となる
1551年 利家、織田信長に仕える
1558年 利家とまつ結婚。このころ「槍の又左」と呼ばれ活躍
1575年 越前府中10万石を利家、佐々成政、不破光治と共に領有。利家は府中城を居城とする
1583年 賤ヶ岳の合戦。この年金沢城へ入城
1584年 末森の合戦。佐々成政を破り加賀百万石の礎を築く
1598年 利家隠居し、利長が家督を継ぐ
1599年 利家死去(63歳)。まつ剃髪し芳春院と号す
1600年 芳春院が人質として江戸に下り、前田家の安泰をはかった
1614年 子で二代藩主の利長が死去し、江戸より帰国
1617年 芳春院死去(71歳)。2男9女をもうけた
―石川県の観光パンフレットより―


なでしこの部屋

堀りごたつ

 十一月にもなるとこたつが恋しくなります。我が家は数年前まで炭の掘りごたつでした。布団をめくって足を下ろすとジワジワ、ホンワリと骨の芯まで暖かくなるのです。けれど準備が大変でした。畳を取ると、板張りの床の真中に灰が入れてあって、そこへガスレンジでおこした炭を積みます。やぐらをのせ、布団をかけて準備完了。毎日朝夕の2回炭を足して、春が来るまで火を消しません。そのため誰かが残り、家を留守にしません。そういえば、実家の祖母が建直した家の部屋で炭の堀りごたつに入っていて気分が悪くなったことがありました。密閉された部屋では危険のようです。我が家の部屋の上部はらんまになっています。
 冬が来る前に、ひいおばあちゃんは雪づりに使用したわらを燃して灰をつくり、古いネルの着物をほどいて継ぎ接ぎにして正方形の下掛けを縫います。何年に一度か布団も作り直します。「そのうちあんたにも教えるから」と言われて年月が流れました。そしてとうとう、便利、安全を優先して、電気ごたつになってしまいました。