22号 発行 2001.10月

「第16回 北陸道を歩く(羽広―蓮華寺)」に参加して

―10月27日高岡市教育委員会主催―

秋晴れの空の下 70名程の参加者は2班に分かれて出発

羽広〜蹲踞所そんきょじょ(天満宮のあたり)〜長楽寺〜有礒正八幡宮〜千保川

 高岡の西の出入り口として蹲踞所(町奉行、町役員が平伏して藩主を送別、お迎えした所)が在ったそうだ。私が子供の頃はもっと狭い道だった。バスのために道幅を広げたので昔の面影は無い。そのうちバス路線は廃止され、今年からコミュニィティバス「こみち」が走っている。道は有礒正八幡宮へつきあたり右へ折れる。この神社の石垣は、前田藩から奉納されたと伝えられている築城様式の石垣。その壮観は、北陸道を攻め上ってきた敵を迎え撃つ砦のようにも思える。社を出て少し行くと千保川がある。ここ横田町のあたりは水陸交通の要衝で、しだいに商家や水運を営む者が増えたそうだ。川の手前を左に入ると、鋳物職人の町金屋である。  写真:有磯正八幡宮の石垣
千保川〜川巴良諏訪神社〜旅篭町〜通町〜高峰公園(高峰博士の生家跡)

  当時の千保川は庄川の本流で、川巴良諏訪神社の裏までが千保川だったと聞き、その大きさを実感した。通町は北陸道と戸出往来とが合流する所で、旅篭町の旅館、遊郭街に接し、町会所のある二番町の隣りであったから、高岡南部の繁華街として栄えたそうだ。今も道の両脇には、お店をしている家が多い。


高峰公園〜守山町〜山町筋〜坂下町〜大仏〜常念寺

  このルートはバスで移動。道は400年前からここを通っているが、道端の風景は現代風になってきている。そこで山町筋では、町並みを保存して昔の貴重なものが無くなってしまわないよう努力している。


常念寺〜大手町神明社(市指定建造物)〜定塚町〜蓮華寺(鎌倉時代創建と伝え聞く)

  常念寺は高岡城のお堀の龍女伝説に登場する寺。ぎんなんの実が何百年もそうしてきたようにたわわに実っていた。定塚町が高岡の東のはずれで、道が枡形のように屈折している。踏切を超えた、現在の高陵町に東の蹲踞所があった。このあたりから蓮華寺までは、比較的往時の面影を残している。この道に平行して南側に走る県道高岡大門線ができて以来、人、車の流れが移ったからだろうとのこと。子供のころ、この大きなお寺の表門が向こう側にあるのを不思議に思ったものだ。  写真:蓮華寺あたりの風景


歩いた道程を昔の地図に印した。鉄道や国道、県道が無いが、だいたい分かる。

高岡駅は当時なかったので赤い文字にした。
地図:「たかおか歴史との出会い」より


なでしこの部屋

北陸道を歩いて

普段の生活のなかでは、蓮華寺へ歩いていくとは考えられません。車を走らせます。昔の人はよく歩いたものだと関心します。けれど、歩く気になれば歩けるものだと思いました。一歩一歩地面を踏みしめて、風を肌で感じ、周りの風景を楽しみながら歩きました。400年間どれだけの人がどんな生活を背負って、行き来したのでしょう。周りの景色が変わり、砂利道がアスファルトになったりしましたが、道は消えてはいないのです。実際に歩いて見て、そこに住んでいる人の生活にも400年の歴史があるのだろうなと思いました。結局、人の流れが町を造り、そして繁栄させていくのではないでしょうか。