21号 発行 2001.9月

 高岡大仏祭 
9月22日 御身拭い 
  23日 交通安全を祈願した法要

写真は御身拭いの様子です。読経の後、白装束の人達がはしごをかけ
頭の上もお顔も丁寧に拭きます。

高岡大仏
座像の高さ 7m43cm
蓮台の高さ 6m
総高    15m85cm
重量    65t 


延享2年(1745)

 極楽寺の等誉上人が大仏の建立を発願。坂下町を登りつめた所に、木造金色の大仏(像高約9m70cm)を建立。文政4年(1821)大火で焼失。譲誉上人が高岡の彫工師・山本与三平に依頼して大仏(像高約4m80cm)を再建。

明治33年(1900)

 大火で焼失。篤信家の松木宗左衛門が大仏の再建を発願。同40年有志52名で高岡大仏再建事務所が設立され、銅製の大仏を造ることが決定。市内の彫刻家・中野双山に原型製作を依頼。明治44年(1911)大仏頭部が完成。しかしこの頃から資金難、鋳造作業中の事故、松木宗左衛門の病死、と続いてこの事業は中止となってしまった。

昭和3年(1928)

 川原町の荻布宗四郎が大仏再建のために高額の寄付金を寄せた。市内の銅器業関係者が奮い立ち、職人達の手弁当といった情熱的な気運の中で一気に進展を見せた。

昭和8年(1933)

 開眼供養。原型、鋳造ともに高岡工人の手によるもので、伝統を誇る高岡銅器の代表作。

伝説の大仏―――――――――――――――――――――――――――
 おおよそ770年前摂津国多田(現兵庫県)に住む源義勝が承久の乱をさけ入道して越中に移り、木造大仏を造営したのが高岡大仏の始まりという話がある。この大仏は二上山麓で護持してきた金銅仏(約24cm)が腹中におさめられており、約4m84cmの大きさがあったという。
コンクリート台座内は巡回できるようになっていて、内部の壁には市内の絵師から寄進された地獄絵、極楽絵が掲示されている。
参考文献「たかおか歴史との出会い」「ふるさと富山歴史館」


なでしこの部屋

大仏様の思い出

 大仏様といえば思い出す写真があります。7・8歳の頃、向かいのちあきちゃんと一緒に行った、斜め向かいのお宅の居間にあったものです。よちよち歩きの坊やがかわいくて近所の子供達はよく遊びに行きました。大勢でおしかけて行っても嫌な顔をせず、招き入れてくださいました。写真の大仏には足場が組んでありその前に数十人の人が並んで写っていました。そこのご主人が写っていらしたのか、仕事の関係で手に入れられたものか忘れましたが、高岡の大仏は私の知人が造ったのだという気がしたものです。 また、そのお宅のおばあちゃんが色々な話をしてくださいました。「人はね、死んでもまた生まれ変わるがやよ。良いことをした人は人間になれるけど、悪いことをした人はトラやの犬やの獣に生まれるがやよ」と聞いて、トラにはなりたくないなと思ったものです。いまでも大仏様の台座内の地獄絵をみると、おばあちゃんのおだやかな口調がいまも思い出されます。