14号 発行 2001.2月

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先月は雪がたくさん降りました。豪雪は18年周期だという説があるそうです。昭和38年、昭和56年、さかのぼって昭和20年も豪雪だったそうです。これでいくと、平成11年も大雪かとかまえていたら、そうでもありませんでした。その分今年は大変で、雪国であることを思い知らされました。それでも、38豪雪の凄さには負けると、家族は言います。思い出話に花が咲きました。

おばあちゃん 「1月中頃から降り始めて、2月の上旬まで続いた。特に1月のおわりごろの降り方は凄かった。来る日も来る日も雪でいやになったね。」
お義母さん   「毎日毎日雪のしまつで、商売にならなかった。たまに注文があると、そりに品物を積んで届けたよ。」
主人(11歳)  「2階から出入りできたなー。玄関まで雪の階段が作ってあって、地下室へ降りていくようだった。道に雪がたくさん積もっていて、電話線をまたいで歩いたものだ。」
私(6歳) 「いつもは登れない屋根に、ひょいと登れておもしろかった。雪で埋まってしまって庭と道の区別がつかなくなって、訪ねてきた人がうろうろしていたのを思い出す。」

 


昭和38年 冬
ある日曜日、町民皆で車が通れるように除雪をした後です。弟と私。
 昭和38年(1963)1月11日、激しく降り始めた雪は、一時的に弱まりをみせながらも、2月上旬まで続いた。特に24日をピークとする1月下旬の降り方は、尋常ではなかった。輪島上空5500mには、零下35℃以下の寒気団が次々と押し寄せ、23日には零下42.7℃まで下がった。さらに、この冬は風が強く、いつも視界をさえぎる吹雪を伴った。最高積雪量は、高岡伏木で225センチもあった。
 住民の生活機能は麻痺寸前となり、御旅屋通りのアーケードや市民会館の屋根が損壊するという被害をもたらした。

「ふるさと富山歴史館」の表を参考にして作成した。

参考文献― ふるさと富山歴史館―


 

なでしこの部屋 

大雪

 一月中頃のある日のこと。朝、会社へ着いた時はそれほどでもなかったのに、ほどなくして雪が急に激しく降り出して、見る見るうちに真白くなりました。しんしんとただ静かに積もり続け、時間までも閉じ込めてしまいそうな不気味さがありました。幾日も止みませんでした。 
慣れているはずの北陸人も、限界を超えた大雪の前にはなすすべも無いという感じでした。列車が運休するし、スリップ事故で道がふさがれ、交通網はぼろぼろでした。買い物に出かける気もおこりません。こんな時、おばあちゃんの知恵の冬越し野菜には助かりました。
二月になって、雪の降る日はめっきり減りました。二月二十二日の朝目をさますと、どこかでうぐいすが鳴き方の練習を始めました。ホーペチョペチョプチョ。まだ下手なので、思わず笑ってしまいました。春はすぐそこに来ています。