13号 発行 2001.1月


高岡近郊では、昔から長男が誕生するとその最初のお正月に、天神様の画像や木彫像を床の間に飾ります。母方の里から初孫の無病息災や学業上達を祈念して贈られたものです。我が家では、主人とその先代二人の天神様の掛け軸計3本と、息子の木彫りの天神様を飾ります。(写真には写っていませんが右にもう一本軸があります。いびつな鏡餅は手製です)
「正月2日に天神様の前で書初めをすると、字が上手になるよ」とひいおばあちゃんに言われ、小学生だったひ孫たちは、真剣に書いていました。ひいおばあちゃんの娘である、主人のお母さんは達筆です。お母さんも天神様の前で書初めしたそうなので、この言い伝えはまんざら嘘ではないようです。

 

天神様
菅原道真、人臣として神に祭られた俊秀、至誠一貫の人であった。悲惨な生涯を終えた道真の怨霊が、人に災いをなすと恐れられ、怨霊神として祭られ、やがて慈悲の神、正直の神、さらに学問、文学、芸能の神として身近な親和感をもって仰がれてゆく。天満宮に書を奉納する風習は、いまもさかんであり、入試シーズンには合格祈願の若者を社で多くみかける。


高岡市千石町の天満宮
子供達が近所で習字を習っていた頃、
ここに作品を奉納していました。

 

前田家と菅原道真
将軍家光の命により幕府に提出した「寛永諸家系図伝」では、加賀前田氏は菅原道真の子孫となっている。が、その確かな証拠はない。しかし、前田家が菅公の後裔であるという信仰は古くからあったようだ。利長の父利家は、信長が北陸経営に当たって諸侯を配置したさい、請うて羽咋郡菅原に配してもらっている。ここは、天満宮が勧請されていたところである。

参考「こち吹かば匂いおこせよ」−学問の神・書道の神・道真哀説―青柳正美 著

なでしこの部屋


年のはじめに

いよいよ新しい世紀、二十一世紀が始まった
時代は確実に変わっていく

色々な人の、様々な思いを呑み込んで
祖母の一生、母の一生、
私の一生、娘の一生と、
命を繰り返しながら

過ぎたものは終わってしまったのではなく、
今へ続いてきているのであって、
そして、そのさきへ繋げていく

今を一生懸命生きなければならない
豊な未来を築くために