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里の四季


5月8日

実家の周辺は,田植え日和のようで
田んぼ道には何台も軽トラが並びました





軽トラで苗を運び
田植え機で植える、肥料も一緒にまく

田植え機のご機嫌しだいで作業の進み方が違います
途中、機械屋さんを呼んだりもしましたが
なんとか予定どうりに済んだようです


小学一年生の甥っ子
お父さんの監視役???
誕生日が娘達と一日違いの姪っ子が
作業の疲れを癒してくれます



最近の田植えは男性陣が主役のようです
家でも弟達と、叔父さん達が頑張っています
ご苦労様です


小学校へ通っていた頃まで、田植えといえば女性が主役だったように思います。

10人ほどの女の人達「五月女」(そ〜とめはん)が泊りがけで仕事にこられたものでした。
朝起きるとすぐに朝前仕事です。苗代へ、今日植える分の苗を採りに出掛け、
男の人は、苗を大きな籠に入れ、天秤棒で担ぎ苗代から田植えをする田んぼまで運ぶ、
また、コロガシ(六角形の木の枠)で等間隔に苗を植える為,、田んぼにしるしをつける。
その間に、家では祖母や母が朝食の準備をしていました。
朝食を食べてから田植が始まります。
田んぼの向こう側まで植える分の苗を入れた苗籠を腰につけ、横一列に並んで進んでいく姿や
お昼ご飯を食べた後は、へらすま(お昼寝)をされるのですが
大勢の人が座敷やら広間に思い思いに寝転がっておられた姿が今でも思い出されます。

当時の下村は水が回ってくるのが遅く、県内でも一番田植え時期が遅かったそうです。
五月女さんも色々な地域を田植えしながら回っておられ、最後がこの地域だったようです。

苗代は村のそばにかたまっていたので、他の家に来ておられる五月女さんに比べ、
田んぼの中にある実家は苗代まで行くのに随分離れていた上、今と違い細いあぜ道のようなもの
だったので行き来が大変だったので
「卵の1つも余計にに付けてもらわんにゃ、割りあわんわ」と、
口説かれたりしたもんだと母は笑います。

それにしても、あの当時貸し布団屋さんがあるわけも無く、仕出屋さんを頼るでもなく
10人前もの布団や枕、食事など一切を準備していた祖母や母の頑張りは凄いもんだと
今になって感心しています。