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鋳物師ゆかりの寺 速恩寺 (砺波市秋元)


本寺は古くよりジトホの通り名で呼ばれており、速恩寺という寺号より、一般的に通ずる。

☆永正三年(1506)常福寺梵鐘銘に「越中国都波郡般若野庄地頭方」あり、
かつてこの地一帯を地頭方と称したことが推定される

寺伝によると能登の眞言宗西源阿闍梨なる僧が文明年間(1469〜1486)、
蓮如上人(本願寺八代)北国御化導のおりに、上人に帰依し眞宗門徒となり、
明応元年(1492)教了が現在地に堂宇を建て速恩寺開基となる。
これより現在まで21代を数える。

古来、この地には常福寺・久遠寺・崇福寺などの今はなき古刹があったと伝えられ、
鋳物・鍛冶職人の集団が居を構えていたと考えられる。
高岡城築城に際し、加賀の前田公に招聘されて今日の高岡市金屋町に
多数移住したと記録されている。
その時、速恩寺門徒も城下に移り住み、速恩寺門徒として今日に至る。
藤田・鍋屋(鍋谷)・鍛冶屋(橋本)・釜谷・金森・般若家の姓の門徒があり、
史実を裏付けていると考えられる。



寺号 速恩寺
俗称 ジトホ(地頭方・地頭坊・地頭保)
宗旨 浄土の眞実を宗とし、念佛の生活を目指す寺
    親鸞聖人を宗祖と頂く、御同朋、御同行の寺
宗派 眞宗大谷派(お東)
住所 砺波市秋元415

毎週日曜学校、毎月同朋会、
その他修正会、お盆、祠堂経会、報恩講等


寺宝

 蓮如上人眞筆六号名号大幅、


往生要集地獄極楽絵図15幅等
右写真




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