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昭和時代U | |||
年 代 | 西暦 | 事 項 | |
昭和 | 21年 | 1946 | 富山県鋳物工業統制組合設立 |
昭和 | 21年〜 25年 |
1946〜 1950 |
アルミ製鍋釜等の生産、活況を呈す(鍋釜景気) |
昭和 | 22年 | 1947 | 戦前の神仏具、梵鐘、火鉢の生産が復活 富山県鋳物工業協同組合に改組 富山県銅合金鋳造工業協同組合設立(78社) |
昭和 | 23年 | 1948 | 「御鋳物師仁安御倫旨」北陸銀行金屋町出張所の金庫に預け入れる |
昭和 | 24年〜 26年 |
1949〜 1951 |
銑鉄業界不振のため組合解散し申合せの組合を作る |
昭和 | 25年 | 1950 | 高岡銅器の対米輸出本格的に始まる |
昭和 | 26年 | 1951 | 「弥栄諷」保存振興会発足 省令により富山県鋳物工業協同組合設立 |
昭和 | 27年 | 1952 | この頃、朝鮮動乱の影響をうけ高岡銅器業は原料高不況となる。このため輸出依存度を高め、合金、アルミ、鉄等の工芸品の製造盛んとなる。 |
昭和 | 28年 | 1953 | 銅器業界では原材料、副資材の共同購入を行う |
昭和 | 29年 | 1954 | 輸出製品の製造本格化 |
昭和 | 30年 | 1955 | 高岡金属組合連合会結成 銅器販売業者が結集し、高岡銅器金物卸業結成 |
昭和 | 32年 | 1957 | 高岡金属意匠審議会を設置、新意匠の奨励及び保護を図る 「やがえふ」の音節、調子、はやし、ふりつけを整え、近代民謡化を図る |
昭和 | 33年 | 1958 | 老子製作所鋳造の「友好の鐘」が横浜市より米国サンジェゴ市へ贈られる この頃、工芸鉄器の生産盛ん |
昭和 | 34年 | 1959 | 金屋町に「高岡鋳物発祥の地」記念碑が高岡開町350年祭の折建立、金屋町に於いて高岡鋳物古文書展示 |
昭和 | 36年 | 1961 | 第1回高岡物産展開催 高岡特産センター開設 |
昭和 | 42年 | 1967 | 高岡銅器アルミ鋳物共同工場完成(長慶寺団地) 高岡市伝統工芸産業技術の保持者指定制度発足 |
昭和 | 44年 | 1969 | 銅器輸出額、戦後の最高を記録 富山県銑鉄鋳物工業組合設立 高岡デザイン指導所開設 |
昭和 | 46年 | 1971 | ドル・ショックの影響をうけ、銅器の輸出額下降し始める。但し、生産額は上昇 |
昭和 | 48年 | 1973 | 高岡市商工奨励館開館(市特産センターデザイン指導所併合) |
昭和 | 49年 | 1974 | 石油ショックによる総需要抑制により生産、出荷額が落ち込む 伝統工芸高岡銅器振興協同組合設立 |
昭和 | 50年 | 1975 | 「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」に基づく産地及び業種指定を高岡銅器業界が受ける(焼型、双型、ろう型) 「弥栄節保存会」結成 |
昭和 | 51年 | 1976 | 戸出地内に高岡銅器団地建設工事始まる 「「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」に基づく伝統工芸士第一次指定 |
昭和 | 53年 | 1978 | 有礒正八幡宮社殿修復工事完成慶賀祭挙行 |
昭和 | 54年 | 1979 | 高岡銅器業、産地中小企業対策臨時措置法の特産地に指定される |
昭和 | 55年 | 1980 | 高岡銑鉄鋳物産地中小企業対策臨時措置j法の産地指定を受ける 金屋町公民館高岡鋳物史料館設立 |
昭和 | 56年 | 1981 | 伝統産業技巧士(伝統工芸高岡銅器振興協同組合指定)の第一次認定行われる |
昭和 | 57年 | 1982 | 金沢工業大学土屋研究室、金屋町並み整備基本構想を作成、また、金屋町づくり推進協議発足 |
昭和 | 58年 | 1983 | 高岡地域地場産業センター開館 国立高岡短期大学設立 |
昭和 | 59年 | 1984 | 高岡金屋町並整備基本計画を策定 |
昭和 | 61年 | 1986 | 国立高岡短期大学初めて、学生を受け入れる 富山県工業技術研究所完成 |
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引用文献 「高岡史料」 「高岡市史」 「鋳物師」 「高岡鋳物史話」 「高岡金属工業史」 「富山県郷土史年表」 「喜多家文書」 「高岡の特産師 「御印地年表」 「明治、大正、昭和高岡銅鉄器沿革史」 金屋町古老の話 富山県鋳物工業協同組合の史料 「高岡銅器史」 |
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