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昭和時代T | |||
年 代 | 西暦 | 事 項 | |
昭和 | 2年 | 1927 | 山本八左衛門、生型鋳造技術完成し仏具多量に生産す |
昭和 | 3年 | 1928 | 今上天皇即位の大礼に際し高岡市より銅器花瓶一対を献上 |
昭和 | 4年 | 1929 | 医師飛見丈繁(郷土史家)鋳物音頭「弥栄諷」研究会を組織す |
昭和 | 5年 | 1930 | 有礒神社祇園祭に「弥栄諷踊り」初公開。 アルミ鋳物の鍋釜類製造始まる 北海道及び朝鮮交易繁昌し鰊釜銑鉄鋳物の製造増す |
昭和 | 6年 | 1931 | 「二宮金次郎銅像」注文殺到す 高岡で初めてアルミプレス工業を事業化 |
昭和 | 7年 | 1932 | 「弥栄諷」の歌碑、有礒神社に建つ |
昭和 | 8年 | 1933 | 中野双山の原型で般若庄三郎らの製作により高岡大仏復興される |
昭和 | 9年 | 1934 | 有礒神社の御神殿御造営起工式 |
昭和 | 10年 | 1935 | 有礒神社竣成奉告祭並に慶賀祭挙行 金屋昭和通り土地買収調印す |
昭和 | 11年 | 1936 | 冨田宗左衛門・宗治郎 有礒神社新拝殿両側の鉄製水鉢を奉納 第十回全国郷土舞踊民謡大会に「弥栄諷踊」出場し全国に紹介される 高岡鋳造工業組合に改組 |
昭和 | 12年 | 1937 | 商工省令銅使用制限規則が公布されたが、建築用銅板に限定され、高岡銅器に直接の影響は少なかった |
昭和 | 13年 | 1938 | 高岡銅器工業組合設立(参加工場400余、従業員1,300余名) 商工省令の銅使用制限規則が公布され、高岡銅器生産は一時全面休業となる |
昭和 | 14年〜 16年 |
1939〜 1941 |
この頃、代用品工業、転廃業の指導援助が行われ、パーカライジング、メタリコン、ライメント等の代用品製造の小企業起こる |
昭和 | 16年 | 1941 | 原料地金の配給、仏具等非禁制品に限定、22トン |
昭和 | 17年 | 1942 | 梵鐘供出にあたり、製造年限三百年以上経過の十六個は供出を免れる |
昭和 | 20年 | 1945 | 戦争の激化に伴う原料不足から多くの業者転業し壊滅状態となる |
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引用文献 「高岡史料」 「高岡市史」 「鋳物師」 「高岡鋳物史話」 「高岡金属工業史」 「富山県郷土史年表」 「喜多家文書」 「高岡の特産師 「御印地年表」 「明治、大正、昭和高岡銅鉄器沿革史」 金屋町古老の話 富山県鋳物工業協同組合の史料 「高岡銅器史」 |
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