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奈良時代〜江戸時代 | |||
年 代 | 西暦 | 事 項 | |
天平 | 18年 | 746 | 大伴家持宮内少輔となる(3月)越中守となる(6月)越中国府伏木に赴任(7月) |
天平勝宝 | 元年 | 749 | 東大寺盧舎那大仏建立 |
天平勝宝 | 3年 | 751 | 大伴家持少納言に遷任され(7月)、帰京する(8月) |
天応 | 元年 | 781 | 佐野鋳物河内丹南より移り起る |
康平 | 7年 | 1064 | 山形鋳物起る |
奈良平安時代 | 呉羽山、太閤山周辺地域に相当大規模な製鉄行われる | ||
仁平 | 3年 | 1153 | 真継家の祖御蔵民部大丞紀朝臣元弘、領内の河内丹南鋳物師天命に鉄灯籠を作らせ朝廷へ献上す。禁裏悪風吹いても灯火消えず、近衛天皇御感の余り、河内丹南の鋳物師のみ鋳物業を独占専業とさせる。これにより真継家支配による全国鋳物師の統括除々に浸透する遠因となる。 |
久寿 | 2年 | 1155 | 河内丹南の鋳物師百八の燈籠を献ず |
仁安 | 2年 | 1167 | 河内丹南の鋳物師(高岡鋳物師の祖)御綸旨を賜う |
元暦 | 元年 | 1184 | 高岡鋳物師の祖河内丹南郡挟山郷より越の前府に移住す |
文治 | 5年 | 1189 | 源頼朝諸国鋳物師に対し諸役御免となす |
建久 | 9年 | 1198 | 高岡鋳物師の祖越の前府より加賀毛利里(現在の河北郡河内村)へ移る |
建長 | 4年 | 1252 | 鎌倉大仏建立 |
天授 | 2年 | 1376 | 越中国守護斯波義将が越中鋳物師は禁裏御用を努めているので諸役を免除されるべきであると云う通知文を公布 |
天正 | 4年 | 1576 | 京都の真継宗弘(朝廷の役所として全国の鋳物師を統轄)が「鋳物師職座法の掟」を定める |
慶長 | 3年 | 1598 | 前田利長公西部金屋村の鋳物師を高岡に移住せしむとの一説 |
慶長 | 14年 | 1609 | 前田利長公高岡入城 |
慶長 | 16年 | 1611 | 前田利長公西部金屋村の鋳物師 金森弥右衛門、喜多彦左衛門、藤田与茂、金森与兵衛、金森藤右衛門、般若助右衛門、金森九郎兵衛の7人を招き鋳物工場を五ヵ所開設(現在の金屋町) |
寛永年間 | 1624〜 1643 |
鋳物師職五十戸余りあり、鍋釜花瓶など鉄製の生活必需品を鋳造する | |
寛永 | 15年 | 1638 | 金屋町で厳照寺の銘梵鐘を鋳造 |
貞享 | 3年 | 1686 | 前田正甫公、釜屋彦九郎に安養寺の時鐘を鋳造させる。 |
元禄 | 9年 | 1696 | 金屋町で鉄製鰐口を吹き同町氏神、有礒神社へ奉納 |
宝永 | 2年 | 1705 | 高岡町鋳物師、真継家より北国筋の鋳物師頭役を命是ぜられる |
宝永 | 6年 | 1709 | 加賀藩鋳物師肝煎を置く |
延享 | 4年 | 1747 | 六代喜多万右衛門、喜多孫兵衛が高岡妙国寺の鐘を鋳造 |
宝暦安永年間 | 1751〜 1772 |
仏具しによる仏具、花瓶、香炉等小形の銅鋳物の製造が盛んになる | |
明和 | 4年 | 1767 | 瑞龍寺の鐘高岡で改鋳 |
明和 | 8年 | 1771 | 金屋町鋳物師、高岡町会所より諸役確認の指令を受け、これに対し一同連判の請書を提出 |
安永 | 9年 | 1780 | 幕府大阪に鉄座を置き鉄専売制度を敷く |
天明 | 元年 | 1781 | 高岡鋳物師、佐渡守斎部量弘より「真継家の鋳物師職座法の掟」の写し、願い出て受ける |
天明 | 2年 | 1782 | 喜多又右衛門敦信、氷見明覚寺の鐘鋳造 |
寛政 | 2年 | 1790 | 京都御所「清涼殿」の鉄燈籠献納の命受ける |
寛政 | 4年 | 1792 | 金屋町に肝煎を1人置く |
文化 | 三年 | 1806 | 坂下町鍋屋仁左衛門高岡の報時鐘として大仏寺の鐘を鋳造 |
文化 | 8年 | 1811 | 高岡鋳物師、美濃守斎部宿祢より菊御紋の使用許可を受く |
文政年間 | 1818〜 1829 |
金屋町12ヶ所に200余の工場あり中島町仏具屋甚右衛門は各家庭に入り出した仏具を製造 木舟町小竹屋半兵衛は京都から仕入れ銅器問屋始める |
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文政 | 2年 | 1819 | 小形銅器業の隆盛 高岡町会所、中島町仏具屋甚右衛門に古銅等の地金問屋と職方の取締りを命じ課税する。同じく木舟町小竹屋半兵衛に銅器問屋を命じ課税す |
文政 | 10年 | 1827 | 金屋町鋳物師35名、同業者間の営業上の申合規約作る |
天保 | 初年 | 1830 | 十代喜多万右衛門鉄釜を北海道に送り鰊釜の販路を開く |
天保年間 | 米屋久兵衛花瓶、置物類を江戸に送り販路を開く 四代金森左平の金寿堂鉄瓶名声広まる |
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天保 | 15年 | 1844 | 金森小左衛門城端善徳寺の燈籠を鋳造 |
弘化 | 元年 | 1844 | 金森宗七御馬出町に店を構え仏具、火鉢等を越後、飛騨、秋田、仙台、大阪、下の関へ販路拡張 |
弘化 | 3年 | 1846 | 藤田勘右衛門、武生大仏鋳造、高岡大物鋳造の始まり |
嘉永 | 6年 | 1853 | 若野四郎左衛門、高岡関野神社の狛鋳造 |
嘉永 | 末年 | 米屋久兵衛が横浜に出て米国人に対し高岡銅器輸出始める 角羽勘衛門横浜より本格的に輸出開始 |
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安政 | 6年 | 1859 | 横浜開港 |
慶応 | 元年 | 1865 | 金森宗七横浜に出て貿易の途を開く |
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引用文献 「高岡史料」 「高岡市史」 「鋳物師」 「高岡鋳物史話」 「高岡金属工業史」 「富山県郷土史年表」 「喜多家文書」 「高岡の特産師 「御印地年表」 「明治、大正、昭和高岡銅鉄器沿革史」 金屋町古老の話 富山県鋳物工業協同組合の史料 「高岡銅器史」 |
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