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鋳物師ゆかりの寺 光證寺 (戸出西部金屋) | |
当寺は高岡市の最南端、砺波市の境に位置し、天然記念物毘沙門杉跡地の西側にある。 寺族は北條氏の末流といわれ、開基は康證。四世の道順の時に真言宗から浄土真宗に転派、 元和元年(1615年)五世乗順の時に光證寺を拝号される。 西部金屋には、南北朝期に真言宗寺院の崇福寺などがあり、中世石造物などが散見され、 古い時期に大きい寺院があった。そんなことなどから、かつて当地には鋳物を生業とする 多くの技術者が住みついていた。 慶長16年(1611年)、高岡城築城のため、前田利長公の親書により当地の鋳物師七人が 高岡城下に移住し、後に金屋町が形成された。その移住鋳物師の内六人が当寺の門徒である。 なお当地西部金屋に残った鋳物師は、仕事の減少などによりその後農耕への転職が許された。 このような歴史的背景から、当寺は鋳物師の流れを汲む門徒が多く、 また金屋町、内免、横田を中心に門徒全体の半数近くを高岡城下で占めている。 |
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金屋町公民館での早朝講座〈03.7.20〉 |
寺 号 光 證 寺 宗 旨 親鸞聖人の南無阿弥陀仏を説く 宗 派 真宗大谷派(お東) 住 所 高岡市戸出西部金屋452 活動テーマ に ん げ ん きこまいけ さかそまいけ 光 證 寺ホームページ 〈光の證〉http://www1.coralnet.or.jp/houjyo |
お盆の墓参り風景 |
その昔、金屋町に住む門徒にとってお墓参りは一大イベントでした。 金屋町から西部金屋まで約四里ほどの道のりを ご先祖様たちは徒歩で往来したそうです。 早朝4時ごろから歩き出し、お寺へは朝食どき位に着いたのでしょうか 遠くから訪ねてきた門徒衆に(素麺)をふるまっていたそうです。 その(素麺)のごちそうは今も続いています。 時代は徒歩から汽車(城端線、戸出駅)へ、そしてマイカー時代へと 移り変わりました。 ご馳走になる一杯の(素麺)に今年も墓参りを済ませたのだと感じるのです。 きっとご先祖様たちも同じ気持ちになっていたことでしょう。 金屋町門徒の一人 |
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