飛翔:古城公園内 作1989年榎本建規
高岡市民の歌など、朝夕5回マイコン制御により鐘をならし、季節ごとの曲が流れます。

75号 2006.3月発行


――――――――年代別:人気の高岡銅器・鋳物――――――――

江戸時代
有磯神社の鰐口
金屋鋳物史料館所蔵。
1696年金屋で鋳造。ちなみに、福光の安居寺の鰐口は金屋で1659年に鋳造されている。
時鐘(高岡大仏隣)
江戸時代に時を知らせるために撞いた鐘。1806年金屋で鋳造。その後、改修されて今に至る。
ちなみに1771年に安居寺、1747年に妙国寺の梵鐘を鋳造。
朝廷へ献上していた燈籠の複製
金屋鋳物史料館所蔵。
1844年城端善徳寺の灯籠製作
日常使用する鍋、釜
金屋鋳物史料館にて。
ちなみに1781年製作の茶釜が城端善徳寺に保管されている。


江戸後期から明治時代
香炉、火鉢、瓶掛,花瓶、置物、仏具、飾り金具など。
江戸の終わりから明治にかけて小物銅器の生産がさかんになる。隠居老人や分家で真継家の許状をもたない者たちの格好の仕事だった。
高岡商人の活躍によって輸出が盛んになる。また新技術を導入して優れた名工を輩出している。明治初期にはウィーン、パリなど海外の万国博覧会に出展し入賞している。


第二次世界大戦後
戦争中鋳物産業は衰退していた。戦争が終わると、空襲を免れた高岡には鋳物設備が無傷で残っていた。転業者や兵役から復帰した鋳物業者によって日常品が作られると飛ぶように売れた。


昭和30年〜40年
量産体制が進む。生型製法、ダイガスト工法、ロストワックス法などがさかんになる。
好景気を反映して会社、事業所、各種団体の記念行事における記念品、贈答品、干支物など、面白いように売れた。


昭和50年ごろから現代
単純化、抽象化による未来指向型イメージのデザイン。
写真は「さまのこフェスタ」より



銅器の魅力

 子供のころ、銅器卸業を営んでいる友達の家へ遊びにいくと、廊下や座敷に同じ形をした銅器の花瓶が所狭しと並べてありました。その合間をぬって遊んでいたものです。ぶつかっても倒れても壊れないし、傷もつかないので、よほどのことが無い限り、叱られることはありませんでした。
 金屋のどのお宅でも、座敷の床の間や玄関には銅器の香炉、花瓶、置物が飾られています。灰皿までも銅器です。当たり前すぎて「いいものだな」と思ったことが無いのが正直なところです。
しかし、旅先の旅館で清楚な花が一輪、銅器の花瓶に活けてあるのを見たとき、心が落ち着いてやさしい気持ちになりました。デパートで和の空間に飾られているのを見たときも、銅器っていいものだなと感じました。
 私たち地元の人間は、あるから飾っているというところがないでしょうか。今度から心して飾ってみましょう。もっと銅器の魅力を見つめ直したいと思います。