仁安の御綸旨 | マイホームタウン 新保HOUSE |
昭和39年 9月11日 慶長16年(1611)利長公より千保川の近くに50間×100間の宅地を拝領して、砺波郡西部金屋村より高岡へ移ってきた鋳物師、金森弥右衛門、喜多彦右衛門、藤田与茂、金森与兵衛、金森藤左衛門、般若助右衛門、金森九郎兵衛の人の祖先は、河内丹南郡狭山郷日置庄の出身であると信じられている。 この根拠となっているのが仁安の御倫旨である。 この御倫旨は蔵人所の牒(簡札)である。 高岡鋳物師の祖先が河内国に住んでいた時に下賜されたもので、金屋町では代々町の宝として秘蔵し、今日にいたっている。 倫旨は、大変な長文で、かつ非常に読みにくい文章であるが、要約すれば、日置庄鋳物師に対して、全国に鍋・釜・鍬・鋤を販売することを命じ、そのため諸役を免除し、全国通行の自由を保証したものである。 しかし、仁安2年(1167)の年号があるのに、文中に、後年の治承4年(1180)木曽義仲の挙兵や、関東の下知状が見えたりするので偽物説も出ているが、室町時代の風習として書類に権威づけをするために年号をさかのぼって記入する例も多々あることから、必ずしも偽物であるとすることは妥当ではない。 《参考文献》 『図録 高岡の文化財』高岡市教育委員会 |
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