10.仁平の故事   マイホームタウン 新保HOUSE 


 日本建国の太古において作られた三種の神器の一つ、八咫の鏡は、わが国鋳造の起源とされている。
 この鏡を作ったのは、天照大神の御兄弟天祓戸命の御子石凝姥命といわれ、命は日本鋳物師の鼻祖ということになっいる。
 ところが仏教伝来より約六百年降った近衛天皇の時代に、日本鋳物史に於ける大きな事件が起こった。伝説による其の顛末は次のようなものである。
 仁平三年の春、夜中になると生あたたかい風が吹いて宮中の灯火は一度に消え、怪鳥が出没し、天皇の身体の具合が急に悪くなり、苦しまれるということが毎夜のように続いた。そこで宮中へ高貴なお坊さんを招き、祈祷を何度もされたが効果がなかった。その頃、真継の祖、御蔵民部大丞紀元弘(ミクラミンブのダイジョウキモトヒロ)が河内の国丹南郡に荘園を領有していたが、ここに石凝姥命の子孫である鋳物師「天命」が住んでいた。
 この天命に鉄灯篭を一基鋳造させ、献上させた。この灯篭の火は、悪風が吹いても消えなかったので、さらに108基を造るよう仰せつけられ、すぐに調達した。こうして禁裏は日中のように光り輝くようになり、怪鳥は源三位頼政が射止めた。そして天皇の苦しみも無くなり病気も平癒したので天皇は大変感激され「天命」という名前を「天明」と改めるよう仰せつけられた。
 この時、鋳物師は国家の大切な器を作る職業であるからと「藤原」の性を賜り、さらに宮中に出仕して天皇をお守りするよう命じられるという栄誉を賜った。そのうえ、河内の「天明」の筋目の者でなければ、末代まで鋳物師になることを禁止され、河内鋳物師は鋳物を作り、それを売買して生活し、勅役(天皇から命ぜられた仕事=灯篭献上)さえ勤めれば、他に何の税も取り立てられないことになった。
 そのころの京都を中心とする世の中の現象はまことに不安なものであった。その一例をあげると
大風雨(1091)、京都大火(1092)、大地震、近江勢多橋破壊(1096)、疫病流行(1106)、京都に強盗横行(1119)、京都大火疱瘡流行(1175)、京都中飢え疫病流行(1182)など、これは一体どうなっているのか、と言いたくなる程惨事が続いた。また、下記の年代にも天皇が病気になって苦しまれたことがあり近衛天皇の仁平の例に準じて灯篭の調達を命じられた。

灯篭が献上された年代
79代六条天皇(1166〜69)
84代順徳天皇の建暦年間(1211〜13)
85代後堀河天皇の貞応年間(1222〜24)
86代四条天皇の天福年間(1233〜34)
97代光明天皇の暦応年間〔1338〜42)



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