9.神話と石凝姥命(イシコリドメノミコト) | マイホームタウン 新保HOUSE |
日本鋳物の 開祖 |
日本鋳物の開祖は石凝姥命とされている。 『日本書記』の中の参考一書では「鏡作上祖石凝姥命」と出ており、 『古事記』では「伊斯許理度売心」となっている。 『神代記』には「石凝姥」と記されており、 『古語拾遺』にも「石凝姥神」と出ている。 書記の一書では、「石凝戸辺」とあり「鏡作りの遠祖アメノヌカト(天抜戸)の子、石凝戸辺が作った八咫鏡(ヤタノカガミ)」とも記されている。 『古語拾遺』ではアメノヌカトが天糠戸命となっている。 イシコリドメノミコトは天照大神(アマテラスオオミカミ)の弟にあたるアメノヌカトの子どもで、大神が天の岩戸に隠れられたとき、この石凝姥命が天の金山の金属を原料にして鏡を鋳造した。これが八咫鏡(ヤタノカガミ)で三種の神器の一つである。咫とは八寸のことで八咫は六十四寸、つまり大きな鏡という意味とされる。また。「ヤ」は数量の多いことを意味し、咫(アタ)は手をひろげて親指と中指を伸ばして測った尺度の単位ともいう。 |
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八咫の鏡 | 石凝姥命の鋳造した鏡については、天の金山のまがね(鉄)を取って、鍛冶屋のアマツマラ(天津麻羅)を尋ねて、石凝姥命に命じて作らせたと『古事記』に記してある。 天の鉱山から金属を取ってきたということであっても、まがねの「ま」は接頭語である。つまり「かね」(金属)を取ってきたという意味である。鉄と記してあっても単なる「かね」(金属)という記事と見るべきかも知れない。 天津麻羅は鍛冶の名前と見られている。『旧事本紀』巻三に「倭鍛師等祖天津真浦」とあり『綏靖紀』に「倭鍛部天津羅」と出ているので「マラ」は鍛冶職のことで、アマツラマはヤマトカヌチ(倭鍛冶)の開祖とみられ、石凝姥命に協力して鏡を作ったと考えられる。 石凝姥命は冶工、鋳造の神であり、天津麻羅は鍛冶、鍛造の神である。 |
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