レンガの煙突 | マイホームタウン 新保HOUSE |
![]() 登録有形文化財 旧南部鋳造所のキュポラ及び煙突 旧南部鋳造所のキュポラ及び煙突(煙道が付く)は、高岡鋳物発祥の地である金屋町の一角にある地金を溶解するための建造物である。 大型の鋳物の製造に必要な溶鉄や溶銅を得るための設備は、多数の板人(送風板を踏む人)が木製の大きな「たたら」を踏んで風を炉に送り、木炭を燃やすものであった。この古来から伝わる方法は明治末期まで続けられていたが、この「たたら」を踏む作業は単調で長時間労働であった。この板人たちが疲れをまぎらし、また、作業の調子を合わせるために歌われたのが作業歌「やがえふ」である。 この辛苦の労働から人々を解放したのが、西洋風の煉瓦積みの高い煙突をもつ新式溶解炉である。送風装置には「たたら」に代わって蒸気機関や電気を動力とした新式の送風機を使って熱風が得られるものとなり、その燃料も新式溶解炉では、より高熱を得ることのできるコークスが使われるようになった。 旧南部鋳造所の新式溶解炉のよる鋳造方法を解説すると、まずキュポラに燃料のコークスと地金を入れて着火し、火力を増すため煙突の基部にある送風口から電気を動力源とする風車で風を送る。風は煙突の中に通された直径約30pの鉄管を通ってキュポラに入り、コークスで熱せられた煙はキュポラの上部から抜け煙道を通って煙突から排出される。この時の排煙は鉄管を通ってキュポラに送られる風を熱しながら煙突から出ていくため、熱効率が高まる仕組みなっている。 高岡では明治末期から、釜万鋳造所・金森藤平・般若清助などがキュポラを次々と建造し、その近代化を競う合った。旧南部鋳造所のキュポラと煙突もその時代を代表するもののひとつで、大正13年(1924)に建設され平成十二年二月まで稼動していた。その後、残念ながらキュポラの一部と送風用の風車は失われてしまっている。 現在、金屋町には明治期以降に建てられた伝統的な町家が数多く建ち、歴史的な町並みが残されているが、このようなキュポラや煙突は旧南部鋳造所のものだけとなった。このキュポラ及び煙突は、高岡鋳物発祥の地である金屋町の近代化の歴史や伝統的な町並みのシンボルとして貴重な遺構であると評価され、平成十三年十月十二日に国の登録有形文化財と登録された。 |
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