弥生時代になると、中国では孔子の時代から既に200年も経って、孟子の時代も終わろうとしている頃で、外国では相当文化も進んできている。日本との民衆相互の交流はかなりあったものと思われる。導入の速い日本人は、早速金属製作方法を研修して、国内でも生産を始めたとみてよいであろう。福岡県今川遺跡からは、遼寧式銅剣を原料にして再溶解して作ったと考えられる銅の鏃(やじり)と銅ののみが出たという。弥生時代初めの遺跡である。これによっても前200年頃には、日本でも溶解鋳造が始められたことが考えられる。この頃は、細形の銅剣、銅矛、銅戈が朝鮮半島からいろいろ伝来されている。
紀元前の弥生時代前期には、朝鮮などから斧や刀子の鉄器が導入されている。そして中期の5年〜150年頃になると鉄を細工するようになった。斧や刀子それにやりがんな、また農具の鍬、鎌、あるいは釣針なども作った。200年〜300年の後半期になると鉄製も出来るようになってきた。静岡県の登呂遺跡からは、銅器も鉄器も出ている。
外国では先ず銅そして青銅時代、それから鉄時代と地域によって年代はずれているが、順序は一定しているのに対して、日本の古代金属文化は朝鮮や中国からいっせいに導入されてきたのが特徴である。そしていち早くこれを同化して文化を高めていった。 |