7.日本古代の金属文化 縄文時代   マイホームタウン 新保HOUSE 


 金属器は、日本の縄文時代から既に見られるという。今まで弥生時代のそれも後期の頃と思われていたのに、たいへん繰り上がってきた。しかも青銅器も鉄器も共に存在するといわれる。山形県遊佐町の三崎山A遺跡は、土器の出土からして縄文後期末とされるが、土器と一緒に出た青銅の刀子(小刀)は、中国殷時代中期のものだという。そうだとすると前1300年頃の品物ということになる。弥生時代が前300年頃から始まるからそれより前に誰かがどういうことかで、中国の殷銅器を日本の山形まで運んできたことになる。海路は船であるが、上陸してから東北の中央部山岳地帯まで何のために運んできたのか。

 日本は縄文土器でも大陸は絢爛たる金属時代であるから、日本海を海流に乗ってくれば金属がもたれされることもありうる。また縄文といえどもかなり工夫された立派な土器であり、未開と云いながらもそれなりの組織もあったであろう。ともあれ縄文時代は金属には無関係と言い切れないことになってきそうである。



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