5.青銅の出現 | マイホームタウン 新保HOUSE |
銅鉱石を溶解している間に、別の鉱石やその他の原料を一緒に混ぜることを、どこかで太古の誰かが始めた。その中に錫鉱石があった。それによって青銅すなわちブロンズが発明された。 これは大発見であった。太古の人たちは、こういう薬味のような添加物を探し求めていたようである。事実、錫の他にも砒素やアンチモンも添加されていた。このことは発掘品の分析によって知られる。 アンチモンもコーカサスやハンガリー地帯の遺跡などから、銅にかなり添加された合金が見られるが、何といっても錫の使いやすさと有効性ははるかに大きかった。銅に錫を混ぜれば溶けやすくなるばかりか、出来た金属がたいへん硬くて丈夫になる。これは一般の道具ばかりでなく、武器にも使える。銅だけの場合には、軟らかくて細工しやすいが丈夫ではない。武器として使えることは、大変な重要な意味をもつ。他民族や他部族に対する強い威力であって、これを使って他を征服し領土も拡大できた。 この青銅の出現は、人類にとって特筆大書すべき大発見であり、また後世の合金の草分けである。このことは、発掘の状況からみて、トルキスタンやメソポタミアあたりがその起源ではないかとみられている。前3000年の昔で、西アジアすなわちオリエントが青銅文明の発祥とみられる。 元来、銅鉱石の中には砒素やアンチモンは、少しではあるが一般に含まれている。したがって古代の銅器にこれらの元素が含まれていても当然と言える。しかし自然に含まれていたばかりではなく、砒素やアンチモンをかなり意識していたらしい形跡があることは注目に値する。 とくに問題となるのは錫である。錫は銅鉱石には含まれていないのが普通である。全く別の鉱石でありまた産地も別である。たとえ偶然近くに産出するところがあっても、これを混合することを考えついたのは、非常に重要な発明である。 さらに付け加えるならば、5000年も経った現代社会でも青銅は丈夫で鋳造性もよく、銅合金の中でも代表的な材料として、機械その他に盛んに使用されている。また銅像や彫刻作品についていろいろ説明するよりも、ブロンズと云えばすぐ意味が通じる。これらのことに思いを至すならば、この青銅文明の太古から今日までの悠久の生命に驚嘆しないわけにはいかない。 |
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