4.冶金術の発明   マイホームタウン 新保HOUSE 


 有史以前に人間が意識して使っていた金属は、6種類といわれる。それは、金、銀、銅、鉄、鉛、錫であった。中には自然金や自然銅そして隕鉄などのように、そのまま使用できる金属も、昔はかなり存在していたであろう。しかし多くは鉱石を採出し、選鉱しさらに加熱溶解して精錬することによって作り出した。
 
ナイフや火打ち石に使われたすいせき(燧石)は、古くから使われており、この燧石の処理について経験し習熟した技術は、孔雀石などの銅鉱石を処理精錬して、銅をとることにまで進展させた。前5000年頃、メソポタミアのシュメール文化では、銅を採掘して、永い間他の地方に供給していた事跡が遺っている。
 
当初は土中に穴を掘り、これに鉱石と薪か木炭を入れて自然通風によって溶かした。薪や木炭は燃料であると同時に還元剤でもある。溶解還元されて、金属になりやすい孔雀石(炭酸銅・水酸化銅)や赤銅鉱(炭酸銅)などのような酸化物鉱石が注目されたと思われる。
 
そのうちに、溶解のための冶金炉や強風を送るフイゴなどが考案されて活用されるようになる。これら冶金炉の発達やフイゴの進歩は、金属文明発展にとって極めて重要な意義をもっている。鉱石から金属を抽出することに成功したことは、それ以後現代まで延々と人間文化の発展する金属文明の根源であり、現代人の遠い祖先がなしとげた偉大な功績といわなければならない。
 
赤銅鉱は、銅色をしている酸化銅で、古代人の眼に触れやすくまた扱いも楽であったと思われる。孔雀石、濃緑色で炭酸銅であるが、炉に入れて溶かせば金属銅が得られる。古代エジプト人は、孔雀石砕いて粉末にし、水にといて婦人の眼のふちに塗っていた。太古も現代も婦人が化粧するアイシャドウに変わりはない。この粉末が炉辺の火に落ちて金属銅になった。こういうことから銅を発見したのが、金属文明のはじまりだと想像する考え方がある。婦人による発見ともいえる。
 
 この銅を風変わりな石と思っている間に、石と比べて硬くないし細工もできる。また鋳物にも作れることを経験して、石とは違った金属の概念を次第に確立したものであろう。
  
 酸化物の形で銅の鉱石は多く存在するが、硫化物鉱を処理することは複雑なので、太古の人たちには困難であった。少なくともローマ時代までは、本格的な開発はされてないようである。

 こうした銅の時代が石器時代に続いた。金石併用時代でもあるが、これを銅時代または純銅時代とも呼ぶことがある。これは純粋ということではなくて、銅だけという意味である。この後の合金としての青銅の文明が絢爛豪華に花を開く。



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