鋳物師の起源と高岡での発達 | マイホームタウン 新保HOUSE |
高岡の鋳物師は、河内国(大阪府)丹南郡狭山郷日置庄に住んでいた勅許鋳物師の流れをくみ、全国で109の由緒鋳物師の一つと伝えられる。 また全国の由緒鋳物師を統括した京都の真継家の支配を受け、寛永十八年(1641)には北陸道の釜屋所十四ヵ所のうち、高岡は「仁安御綸旨御本紙」をもつ唯一の釜屋所で北国惣代の記録がある。 天保年間(1830〜1844)の「諸国鋳物師名寄記」によると、全国で五百十二人の鋳物師のうち、高岡金屋の四十九人が一番多く、日本一の鋳物所になっていた。 |
参考文献:高岡歴史散歩U |