旧七ヶ町
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昭和8年11月、当時一世を風靡した明星派の歌人与謝野寛、晶子ご夫妻が
ご来高の折、この地にあった金森藤平鋳物工場に寄せられて詠まれたものです。
いもの師はたのしかるべし
みずからを釜ひとつにも出ださんとす
寛
われ入りて鍋作りする爐にあるを
夕日と思うひろきかな屋に
晶子
旧七ヶ町
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