ちんちんバス 新幸橋をバスが通っていったね。昭和12年ごろかな〜。島作の角を、今のあの道幅をさっと曲がっていった。子供のころには大きいバスだと思っていたけど、今から思えばそう大きなものではなかったんだな。 どこでも手をあげれば止まってくれて、乗り降りできたと聞きましたけど。 ところどころにバス停はあっただろうけど、街中ではどこでも乗せてくれた。 その当時なら、「どんどん坂」を昇っていったのですか?。 そや、あんときはまだ三角広場はなくて、今はその隣の駐車場になっているあたりに「どんどん坂」があった。今の三角広場(ポケットパーク)にはその当時、家が3件あった。金屋上町の通りを走ってきたバスは直角に曲がって坂をのぼり、左に曲がって横田町へ抜けていった。曲がり角に当たる平能家にバスが突っ込んできたこともあるそうな。 なぜ三角広場ができたのですか? 戦争中、爆撃を受けたときのために、民家が密集している所に緩衝地帯を設けたがや。昭和の15〜16年ごろやろ、3件の家が立ち退き今の坂道ができた。その後に防火用水になっとった。 |
どんどん坂があったと思われる場所。今は、盛り土をして駐車場になっている。 右が小公園(俗称三角広場) |