千保川も高度成長?

自分が小学生のころ、赤やら青やらの水が流れている汚れた千保川の絵を描いて、賞をもらったことがあります。

戦中から戦後だんだん汚くなって、30年代の世の中公害と言われたころはひどいもんやった。

川沿いの製紙工場や捺染工場からの排水で泡ふいて、臭かった。公害防止の設備をしたらつぶれてしまった会社があった。垂れ流しでないと採算が合わないというお粗末な話や。

あのころは川の両側に工場がたくさんありましたよね。

こんな話もあるぞ。車社会になって駐車場が必要になってくると、川の上に駐車場を造ったらどうかという話がでた。

そんなことしたら、川沿いの町内全部がやるぞ。

そうや、そこでいっそのこと川に蓋をすればということになって、役所に話をした。そうすると消防関係が、高岡の街中は道が狭いのでそこを道にすれば消防自動車が走りやすくていいかも知れないと言ったそうな。しかしそんなことをすると川が死んでしまうと、私は思った。そのうちに、郊外に工場団地ができて金屋の町中の工場が引っ越していって駐車場が必要なくなり、千保川に蓋をする話もなくなった。

現在の千保川
左の道はもとは川だった。道の下にはいまでも水が流れていて本流へ流れ込んでいる。
この合流地点が船着場だった。

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